センバツ入場行進曲の歴史をひもとく SMAP、槙原敬之、ZARD、光GENJIなど

タグ: , 2019/1/10

 平成最後の甲子園大会となる第91回センバツ高校野球大会(3月23日開幕)の入場行進曲が、「世界に一つだけの花」に「どんなときも。」のメロディーも組み入れて編曲されることに決まった。

 どちらも言わずと知れた国民的ソング。「世界に…」は2003年(平成15年)3月5日にSMAPの35枚目のシングルとして発売されると、たちまち大ヒットに。ジャニーズ事務所所属アーティスト初の200万枚超えの売り上げを記録した。翌2004年のセンバツ行進曲に選ばれている。

 「どんなときも。」は槙原敬之の3枚目のシングルとして、1991年(平成3年)6月10日に発売。映画「就職戦線異状なし」の主題歌として売り上げを伸ばし、日本レコード大賞新人賞に輝き槙原ブレークのきっかけとなった。翌1992年のセンバツ行進曲に抜てきされた。

 なおいずれも作詞作曲とも槙原敬之が務めている。

 平成最後を飾るべく、過去の平成30大会の行進曲から、幅広い年齢層に選ばれるなどの浸透度をはかり、選択されたとみられる。

 平成元年(1989年)の行進曲は「パラダイス銀河(光GENJI)」。3年(1991年)は「おどるポンポコリン(B.B.クィーンズ)」、6年(1994年)は「負けないで(ZARD)」、7年(1995年)は「がんばりましょう(SMAP)」など、前年にヒットし、世代を問わず広く国民に愛された曲が選択されてきた。

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センバツ入場行進曲の歴史をひもとく


 もっとも歴史をひもとくと、選曲傾向の変遷が浮かび上がる。

 センバツ第1回大会は1924年(大正13年)。当初は軍歌や軍隊行進曲などが使われていた。1962年(昭和37年)の「上を向いて歩こう(坂本九)」以降、前年にヒットした流行曲が使われるようになった。

 当時は高度経済成長期のど真ん中。力強く戦後復興を果たした日本を元気づける歌が続いた。1964年(昭和39年)の「こんにちは赤ちゃん(梓みちよ)」、1967、1970年(昭和42、45年)の「世界の国からこんにちは(三波春夫)」、1969年(昭和44年)の「三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)」など。

 時代は移り、昭和晩年は歌謡曲全盛期の時代。主役たる高校生に合わせた選曲ではなく、レコードの売り上げやインパクトで選ばれ、幅広さを求めた平成の選曲とは異なったセンスを感じさせる。

 1978年(昭和53年)は「愛のメモリー(松崎しげる)、1982年(昭和57年)は「ルビーの指環(寺尾聡)」など、対象年齢が高めの選曲が続いた時代もあった。

 センバツ行進曲を振り返ってきたが、では夏の甲子園はどうだったのか。実は夏の甲子園は「全国中等野球大会行進曲」に毎年決められている。1935年に作成され、80年以上の歴史を誇る。入場時に場内には演奏のみだが歌詞もしっかりある。

 高校野球を代表する名曲「栄冠は君に輝く」は1948年に公募された大会歌。知名度はこちらが上だろう。夏の甲子園では退場時に流され、地方大会ではよく行進曲に用いられている。

 球児たちがグラウンドで奏でる球音こそが高校野球の醍醐味ではあるが、数々の名曲たちがそこに多くの彩りを加えてきた。過去の平成30大会だけに限らず、時代を象徴する名曲で「あの頃、あの時」を思い出す方も多いのでは。

 最後を締めるべく、槙原敬之が編曲する新曲が、甲子園の銀傘にこだまする日が早くも待ち遠しい。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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