元SB攝津正さん引退秘話、ソフトバンクが「常勝」である理由とは?

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 2018年シーズンで福岡ソフトバンクホークスを引退した攝津正さん。秋田経法大付高、JR東日本東北を経て、2008年にドラフト5巡目でソフトバンクに入団。プロ入り1年目から勝利の方程式として70試合に登板、最優秀中継ぎ投手、新人王のタイトルを獲得し、4年目にはエースとして最多勝、最高勝率、沢村栄治賞のタイトルを手中に収めた。5年連続の開幕投手を務めるなど獅子奮迅の活躍を続け、全力で駆け抜けたプロ野球人生の10年間を、フリーアナウンサーの田中大貴さんが聞いた。





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やる場所がなければ終わり。自分の中ではスッキリしている


田中:現役時代を振り返ってみるとどうですか?

攝津:当時のことを考えると、とにかく必死でしたね。後先考えず、突っ走っていました。

田中:今もう一度同じことをやれと言われたら無理ですか?

攝津:そうですね。ひと息ついたらもう無理ってなりますね。

田中:1年目、2年目と70登板以上して、3年目からは先発に転向してずっとローテーションを守ってきました。相当厳しい状況で、なんとか乗り越えきた10年間だったと言う感覚でしょうか?

攝津:ずっと、とにかく必死でやってきましたね。背中が腫れ上がってしまう事とかもありました。無理した部分はあったのかなと思いますね。それでも針を打ちながらとか、やってきました。

田中:周りに託されたら、自分がどういう状況であれ、やり遂げるというタイプなのでしょうか?

攝津:そうですね。プロですから、そういうところは必要なのかなと思いますよね。期待に応えられなくなったら終わりだと思うので。それが自分の美学というか、常にその期待に答えたい。無理してでも。

田中:無理をしなかったらもう少し長く現役を続けられたのかな、とも思いますが。

攝津:いやー、そういうやり方は自分自身持っていないですね。全力でやって、上手く投げられなくなって、やる場所がなければ終わりの世界です。まだ自分が投げる場所があればやりたいなという思いはありましたけど、なければ辞めようと、球団から言われる前から思っていました。そこは結構あっさりと。

田中:心身ともに限界だったという感じでしょうか?

攝津:体が持たなかったですね。痛み止めを飲みながら生活するようなことはもうしたくないです。

田中:もっと長くプロ野球にいたように感じる、濃密な10年でした。

攝津:だからこそ割り切って考えられたのかなとも思います。やり切ったと言うか。プロに入る年齢も26歳と高かったですし、できることをやってダメだったらそれでいいなという気持ちがあったので。意外と自分の中でスッキリしていましたね。

田中:内容の濃い10年を送れたのは、社会人の経験が生きていますか?

攝津:社会人の厳しい環境でやって来られたのは大きかったのかなと思いますね。それこそ70試合とか投げることができたのは、その当時社会人トーナメントを大事な大会になるとピッチャー2,3人で回すんですよね。完投したのにまた次の日先発とかなんですよ。そういう経験をしてきたのが大きかったのかなと思いますね。

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