箱根駅伝珍場面集 フリーザ出現、全員コース間違えetc.
◆車衝突寸前
17年の復路10区で、神奈川大のアンカー中神恒也(4年)が、日比谷交差点を通る寸前、前方を横切っていた白いワンボックス車にひかれそうになった。警備のトラブルでその時だけ交通規制がされておらず、直前で中神が立ち止まり、大惨事は免れた。中神は「リズムを崩したくなかったんでそのまま走っちゃおうって思ったんですけど、さすがに命の危険を感じたので止まりました」と後日ツイート。その後も力走し、総合5位でフィニッシュ。12年ぶりシード権獲得に貢献した。
◆全員コース間違い
90年、1区で全15選手が間違ったコースを走った。六郷橋の交差点で先頭集団の前を走るテレビ中継車、白バイが多摩川を越えたところで側道に入り、正規ルートから外れた。トップを走っていた日大の谷川義秀(2年)は「まったく気付かなかった」。2位以下の選手も続々と誤ったコースへ。13位で通過した東洋大の出水田洋(2年)は異変に気付き「交通規制されてなくて、車が通っていた。レース後、チームメートに『お前だけ正しいコースを走っていれば区間賞だっただろ』と言われました」。往路直後の監督会議で説明があり、全チームが同じ条件になったので問題はないと承認された。
◆脱線「3秒差」初シード
11年、箱根史上まれに見る大混戦のシード権争いが繰り広げられた。最終10区の中継所で8位から13位まで1分9秒差。主役は11位でタスキを受けた国学院大アンカー寺田夏生(1年)。残り1キロを切って、集団となっていた8位以下の4チームが一斉にスパート。抜け出して8位に躍り出た寺田は残り150メートルで、コース外にそれた中継車につられてコースを間違える。「あれ、みんな来てないなって。人生で一番焦りました」。必死で声をかけた警備員の指示でコースに戻った時には11位に後退していたが、1人抜いて10位でゴール。11位と史上最小「3秒差」という激戦を制し、劇的な初シード獲得となった。
◆あわや棄権
大雪に見舞われた78年。火薬が湿り、復路のスタート合図のピストルが鳴らないアクシデントはまだ始まりにすぎなかった。新幹線で移動しているはずの7区の選手たちが、点呼の時間になっても現れない。雪の影響で新幹線が運行できなくなり、選手たちはタクシー移動に切り替え。ところがチェーンなしのタクシーだったため途中で走行不能になり、チェーン着用のタクシーを呼んでさらに乗り換えて移動。中継地点に到着したのはスタート数分前。選手はほぼウオーミングアップなしで箱根路に駆けだしていった。
◆タスキ忘れ
90年、亜大6区の田中寛重(1年)が復路をスタート。約50メートル走ったところでタスキを忘れたことに気づき、血相を変えてスタート地点へ戻る。忘れないように、目立つ場所にと、付き添いの先輩の首にかけていたタスキを受けとると、1分ロスして山下りへ。途中で足のけいれんもあり区間15人中14位に終わった。亜大は最下位だったが、誰も田中を責めることはなかったという。タスキがつながらない涙は数あれど、駅伝の命ともいえるタスキを忘れるハプニングは、忘れられない珍事として人々の記憶に残っている。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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