「何言ってるんですか、佐野さんって…」アジア選手初の米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏との思い出 ホームラン秘話を近鉄OB、佐野慈紀氏が明かす「本当に楽しかった」
イチロー氏の思い出について聞くと佐野氏は「初対戦は正直、覚えていないんです。ただ、長岡球場(新潟県)で野茂から放ったプロ初のホームランはブルペンで見ていましたね」と振り返る。
対戦時は「本当に楽しかった。どうやって抑えてやろうか!と。必死でがむしゃらでしたね」と佐野氏。
抑える方法としては「インコースのギリギリをどうやって振らせるか」(佐野氏)と集中していたそうで、ある時には打ち取って、攻守交代ですれ違った際に「佐野さんは僕の時だけすごい(球が)来ますねえ!」と声を掛けられた。佐野氏も「だって楽しいんだもん!」と応じたそうだ。
「その言葉を聞いた時に、『僕もピッチャーとして認められたんだ』と感じましたね。ある時には、直球アウトコース低めのベストピッチを「レフトポール際にホームラン打たれましたよ(笑い)。後で、僕が『ポール際(ぎりぎりだった)』と言うと、イチローは『何言ってるんですか佐野さん!左中間でしたよ!』って」と嬉しそうに熱戦を繰り広げた、在りし日々を振り返っていた。
【さの・しげき】
1968年4月30日生まれ。愛媛県出身。1991年に近鉄バファローズ(当時)に入団。卓越したコントロールを武器に中継ぎ投手の筆頭格として活躍。中継ぎ投手としては初の1億円プレーヤーとなる。近年は糖尿病の影響により右腕を切断。著書「右腕を失った野球人」では様々な思いをつづっている。
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