新庄剛志は「男気があった」 元専属トレーナーが明かすMLB時代の苦労 阪神時代の名手たちとの思い出も「オマリーは仮病を使っていた(笑)」

タグ: , , , , , , , , 2025/2/22

ボンズと新庄氏の関係は良好だった(C)Getty Images

 1992年から阪神で10年間トレーナーを務めた熊原稔は、2001年に新庄剛志のパーソナルトレーナーとして渡米。サンフランシスコ・ジャイアンツで戦う同氏の活躍を陰で支えた。英語も分からず飛び込んだというMLBの世界は苦労もあったが、刺激も多かったという。当時のエピソードや阪神での思い出話を中心に、フリーアナウンサーの田中大貴が話を訊いた。

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――トレーナーとしてアメリカに渡った経緯から聞かせてください。

 それまで10年間ぐらい阪神タイガースでトレーナーをしていたので、環境を変えたいとも思った時期でした。新庄さんから一度目の連絡があった時はまだ阪神との契約が残っていたので他の人を紹介したんですが、次の年の秋季キャンプの頃にまた電話かかってきて、そこから翌年に専属でついてくれという話をもらったんです。嬉しかったですね。日本のプロ野球はある程度、経験できたし、新しい環境に飛び込むチャンスでしたから。

――MLBにという違う世界に飛び込むわけですから、大変な苦労があったと思います。

 私がアメリカに行った時は、チーム(サンフランシスコ・ジャイアンツ)とエージェント契約をしていたわけではありませんでした。そういう場合、選手がパートナー(トレーナー等)のホテルやチャーター機だったりをするものだけど、彼はそれをまったくしていなかったから、全部自分でやりました(笑)。当時、アメリカはテロ被害にあっていたので、空港でのボディーチェックが厳しかった。 鍼灸の道具を見つけた入管の職員に「選手の治療に使うんだ」と言っても全然信用してくれない。私は英語も喋れなかったので、靴まで脱いで検査されました。

――当時の新庄“選手”を振り返ると?

 野球に対しては本当に真面目で、細かいところにもこだわる。それに、やっぱり男気があって、いろいろ気も遣う。ミスして怒られている選手がいると、後でフォローを入れたり、そういうことが自然とできる。それでいて、言うことはしっかり言う。そういう魅力的な選手でした。

――トレーナーから見て、あれだけのパフォーマンスを発揮できた要因は?

 もちろん、トレーニングもしていましたが、元々持っている素材がすごかった。本当に彫刻みたいな身体でした。体脂肪もほとんどないし、筋肉の質もすごく柔軟性がある。肩の強さには関節の構造も関係していますが、それ以上に筋肉の質がすごい。特別なトレーニングをしたわけではなく、幼少期の頃から日常の遊びのなかで鍛えられた部分もあったと思います。

――野球に対してストイックな部分もあったかと思います。

 意外と甘いものもたくさん食べてましたが、野球への姿勢はストイックな部分を感じましたね。 特に守備に関しての感覚が鋭かった。メジャーでも通用していました。でも、バッティングは悩んでましたね。私が治療している時にも映像を見ながら試行錯誤していました。そういう姿は外には見せませんでしたが、やっぱり努力はしていました。それに野球とプライベートのオン・オフのスイッチがうまかったですね。

――イチローさんや野茂英雄さんがメジャーで活躍していましたが、当時は日本人選手がMLBでプレーするのは、まだまだ黎明期の時代でした。メジャーに行って衝撃を受けたことは?

 私個人で言えば、パーソナルトレーナーとして行ったので、最初はチームのトレーナー室に入れてもらえなかったんです。だから、大きいランドリーの部屋に簡易ベッドを置いて新庄さんのケアをしていました。試合もベンチではなく記者席で見ていましたね。

 それが変わったのが、バリー・ボンズに針を打ってからでした。ヘッドトレーナーに「ボンズに呼ばれてるぞ」と声をかけられて、3回ぐらい針を打ったらボンズの膝の調子が良くなったんです。それからですね。ようやくトレーナー室にも入れてもらえるようになりました。

 そこから他の選手のケアもするようになって、当時は遠征に行くといろんな選手のマッサージをして、チップでだいぶ稼がせてもらいました(笑)。その時に日本のトリートメント技術は絶対に通用するなと感じました。当時のメジャーの選手は、ケアに関しては超音波とかそれくらいだったので、マッサージを受けたがる選手が多かったんです。それで選手にやってあげると、すごく気に入ってくれた。専属トレーナーとして雇われているから新庄さんに確認をとってからやっていましたが、儲かりましたね(笑)。一番はボンズ。100万円くらいの小切手を切ってくれましたから。

――当時は新庄さんもチームになじむのに苦労していたと思います。見ていてどうでしたか?

 やっぱり白人、黒人それぞれのコミュ二ティに分かれているようなところはあったし、その中で日本人は中南米の選手あたりと一緒にいるような状態でした。それが変わったのも、やっぱりボンズが絡んでましたね。サンフランシスコのジャパンセンターで新庄さんの歓迎会があった時に、ボンズが来て仲良くなっていました。ボンズはあまりオープンな性格ではなかったんですが、それでも新庄はスッと懐に入っていった。最初の出会いが良かったのかなと思います。

――阪神の新庄剛志と、サンフランシスコ・ジャイアンツの新庄剛志は印象が違いましか?

 基本は一緒なんですが、日本球界は縛りも多かったし、上下関係も厳しかったですから、それが窮屈だった部分はあったのかなと思います。だから、アメリカ行ってそれがほどけた時に、もっと自分を出していたんじゃないかと。

――当時の新庄“選手”をよく知る熊原さんは、新庄さんが監督なると思いましたか?

 思いませんでしたね。監督になるタイプではないと思っていました。ところが、今までとは違うやり方で結果を出している。やっぱり彼の力はすごいですよ。当時から男気もあったし、面倒見も良かった。今も選手と同じような立場で語ったり見たりするのかなと。だから、信頼関係も築きやすいのかなと思います。そういう部分は昔から変わらないですね。

――型にはまらないというか、セオリーとは別の道を行くイメージがあります。

 そうですね。メジャーから日本に帰ってきた時に日ハムでファンサービスをしていましたよね。あれは、メジャーの影響が少なからずあったと思います。日本との差を感じて、もっと楽しくしよう、と。ちょっとした堅苦しさみたいなものを日本のプロ野球界に感じていたんでしょう。それを監督としてもやっているのかもしれません。

――新庄監督は、今後どうなっていくんですかね。

 成績が駄目だったらどこかで自分でけじめをつけそうですけどね。 そこからは芸能界でしょう(笑)。

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