新庄剛志は「男気があった」 元専属トレーナーが明かすMLB時代の苦労 阪神時代の名手たちとの思い出も「オマリーは仮病を使っていた(笑)」

阪神などでトレーナーを務めた熊原氏(左)の様々な体験談に田中氏も興味を惹かれていた
――阪神時代の話も聞かせてください。多くの名選手がいましたが、思い出に残っているエピソードなどはありますか?
昔の阪神は、ビジターの遠征になるとトレーナー室に選手が来ませんでしたね。みんな夜の街に遊びに行っていた。そういう時代でした(笑)。ただ、大豊(泰昭)さんだけ来てましたね。私も遊びに行きたいんだけど、ヘトヘトになるまで大豊さんのマッサージをしていました。
――印象に残っている選手は?
外国人だと、グリーンウェルはすぐに国に帰ったし、ディアーは練習だけしかホームランを打たないし、パチョレックは紳士でしたね。オマリーにはよくいじられました。オマリーはすごい選手でしたが、自分が打てないピッチャーとの試合だと、いつも仮病を使ってトレーナーを困らせるんです。左ピッチャーが苦手で、広島の川口和久さんや大野豊さんが登板する時は、どこかしら「痛い」と言ってね。 それが毎回だったから、上司のトレーナーがコーチ陣に「どうなってんだっ!」と怒られて大変そうでした。毎回でしたからね。オマリーの仮病のタイミングはだいたい予想できましたよ。だから打率を残せたんです(笑)。
和田豊さんはスコアラーとよく打ち合わせしていましたね。当時からデータを駆使していました。木戸克彦さんにはむちゃくちゃ怒られた。真弓明信さんにも本当にお世話になりました。いつも食事に連れてってもらったし、夜中に呼ばれてマッサージさせられたこともありましたね。寝るまでマッサージしたこともあります。時代ですね。今だったらもうアウトですよ。でも、全然僕は苦じゃなかったんです。まず阪神に入れたってことが嬉しくてね。
――メジャーから帰国後は、楽天でもトレーナーをされました。
楽天の時はマーティ(・キーナート)監督が球数にうるさかった。「なぜ、キャンプのこの時期に100球も投げるんだ」ってね。私たちにとってはそれが普通だったんですが、彼のやり方ではなかった。だから、合わせましたよ。でも、マーティが1年でクビになって今度は星野(仙一)さんでしょ。今でも覚えてます。仙台のホテルでコーチ会議の後に星野さんに呼び出されて、「なんでこんなに投げさせないんだ」とマンツーマンで問い詰められて…。怖かったですね。1年で方針が全く変わったので参りました。選手への説明も大変でしたよ。星野さんにも家に呼ばれてマッサージしながらいろいろ話を聞きましたよ。だいたい球団のことでしたけどね。
――今もトレーナーになりたい人は大勢いると思います。鍼灸の資格を取ったとしても狭き門ですね。熊原さんはどういった経緯で採用されたんですか?
話すと長くなりますが…私が学生の頃、親父が商売していて倒産したんです。借金もあったし、その影響で中学が3回も変わりました。 中学浪人もしましたね。でも、高校は出ないといけないと思って、自分で塾代も全部払って行きました。塾に行って、ファミレスでバイトして、同級生が来るのが恥ずかしかったですね。
ただ、その時に野球に出会ったんです。それまでなかなか自分を表現できなかった私が野球に救われたような気がしました。それまでは挫折というか、内にこもって鬱屈としていた人生だったんですが、「なんか野球っていいな」と。それから12球団全部に電話したんです。選手は無理ですから、トレーナーとしてですね。何も知らずに電話したから資格が必要なことも分かっていなくて、それから専門学校に行って、2年生の春に指圧やマッサージの免許が取れた。その時に阪神の長島さんって方が学校の先輩で、面識はなかったんですが「絶対やりたいのでお願いします」と電話で突撃したら、「じゃあ、春のキャンプに来い」と言ってもらえました。
春のキャンプでは、本当に一生懸命にやりましたね。寝なかったですよ。いろいろな仕事をして、終わるのが夜の2時くらい。それから国家試験の勉強をしました。「このままでは阪神に入れない」と思うから必死でしたね。一生懸命やることは苦ではなかったです。夜中にマッサージに呼ばれても「夢がもうここまで来てる」と感じていましたから。
でも、その時は入れなかったので東京に帰ったんです。このままだと繋がりが切れてしまうから、新幹線代を貯めては何回も阪神に行っていました。何回も来るから、向こうはだんだん鬱陶しくなるんですよ。それでも断られないように、甲子園の電話ボックスからかけたこともありました。「すいません来ちゃいました」って。それである時に中込伸さんがトミー・ジョン手術をするから対応する人が必要だということになって、空きができたので声をかけてもらえたんです。そこからおよそ10年、阪神でお世話になりました。
――執念ですね。
執念ですよね。今の若い人たちもトレーナーになりたいという方は大勢いますが、「なりたいって言うけど、休みは何してるの?」と聞きたい。昔の私はスポーツの大会があると、国立競技場に行ったりして飛び込みでストレッチやテーピングをさせてもらったりしていました。今みたいにYouTubeで教えてくれたりしないですからね。だから直談判してやらせてもらいました。そういう実践の機会は自分で作るしかなかった。そうやって自分の夢を掴んでいきました。もちろん、今の時代で同じことが出来るとは思いませんが、やっぱり夢は向こうから落ちてこない。 取りにいかなければならない、と今もそう思います。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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