どん底から始まったプロ野球人生で挫折した「エースへの道」 猛虎に欠かせない岩貞祐太が見せる“ドラ1の底力”【阪神】
故郷を襲った熊本地震。胸に刺さった友の「言葉」
あらゆる経験を重ねる中で、岩貞は愛する地元への思いも背負って腕を振ってきた。
16年4月14日に故郷を襲った熊本地震。そこに被災した友人、知人もいた。幼少期に待ち合わせ場所にしていたスーパーも倒壊。「俺たちの待ち合わせ場所が……」と電話口で涙する友人の言葉が胸に突き刺さった。
「正直、野球どころではないと思いましたし、自分が勝っても、勝たなくてもいいやと思ってました。とにかく熊本のことが心配だった」
震災2日後には先発登板で7回無失点と好投したが、投げる意味を見いだせなかったのも本音だった。
だが、思わぬ声が届いたのは、その熊本からだった。
「僕の投球を見て、熊本の人たちが“勇気をもらった”とか“元気をもらった”と連絡をくれたんです。『あ、そうなんだ』と。自分が勝つことの意味を、そこで理解できた。離れたところでニュースを見て、ショックを受けている僕たちより、被災している人たちの方が前を向いていた」
17年からは勝利数やホールド数に応じて熊本・益城町に野球用品などを寄贈する活動も行ってきた。
「熊本の方々に喜んでもらって、なおかつその成績によって貢献できたり。そういうことができる立場にあるので。1人でも、2人でも、元気になってくださる方がいるのならば僕は一生懸命頑張りたい」
左肘の激痛というどん底からプロ野球人生は始まり、歩を進めていたはずのエースへの道は途中で“方向変換”を余儀なくされたが、背番号14はブルペンというやりがいのある「働き場」にたどり着いた。1軍で2試合登板に終わった昨季からの巻き返しは辛苦を味わってきた“ドラ1”の底力でもある。
「ブルペンのみんなで力を合わせて戦っていく、その思いはずっとブレないし、これからも変わらない。まだまだ戦いは続くのでチームが勝つために何をすべきか考えながら投げていきたい」
こんなベテランがいることも、阪神がリーグ覇者となった理由の1つだ。
[取材・文:遠藤礼]
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