「全員辞めると思いますよ」――衝撃のチーム解体に主力も憤る異例事態 元中日OBの社会人野球クラブ監督解任劇の舞台裏
情熱をもってショウワコーポレーションを率いていた亀澤(C)萩原孝弘
“ゼロベース”で積み上げてきた矢先に待っていた解雇
「監督の座を辞することになりました。4年間築き上げてきましたが、ここで僕は終わりとなります」
どこか達観した表情で、社会人野球クラブ「ショウワコーポレーション硬式野球部」の亀澤恭平監督は口を開いた。
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21年の冬に「都市対抗出場、クラブ選手権優勝、プロ輩出」を掲げ、故郷・岡山に拠点を構える同チームの監督となった亀澤。学生時代は無名ながら、人並み外れた努力で独立リーグからソフトバンクの育成とステップアップ。さらに中日に支配下で移籍すると俊足巧打と高い“野球ID”で頭角を現した36歳は、その稀有な経験をベースにアマチュア球界での指導者キャリアに歩みを進めた。
22年の初年度は意識の低いチームを“ゼロベース”で指導し、21大会ぶりとなる全日本クラブ選手権出場へと導く快挙をやってのけた。次年度も連続で全国の舞台へ駒を進め、なんと優勝。社会人野球日本選手権では1回戦で敗退したが、亀澤が率いたショウワコーポレーションはアマチュア球界に旋風を巻き起こした。
3年目はトラックマン導入や球場の要塞化などハード面も充実させると同時に、元プロを3人も入団させるなど戦力の底上げにも成功。しかし、「クラブ選手権初出場からクラブ選手権日本一。そして今年戦力を常に強化して挑んだ3年目でしたが、2年連続日本選手権出場の夢は遠かったですね」と漏らしたように、結果には繋がらなかった。
勝負の4年目は、2年連続で元プロを引き入れ、アマ球界の有望株も補強。さらに気心の知れたヘッドコーチも招聘し、亀澤は指導する側の強化にも目を向けた。結果、都市対抗予選では三菱自動車倉敷オーシャンズ、シティライトと強豪を相次いで撃破。しかし勝利の女神は微笑まず、またも、あと一歩で夢破れた。
「最強のメンバーで挑んだのですが……」と最大の目標に手が届かなかった現状を憂いながら、亀澤は多角的に敗因を分析。現状把握に努めながら、2回目の全日本クラブ野球選手権大会優勝へ向け目標を切り替えていた。
しかし、その矢先、まさかの退任要求が待っていた。






