「正直、(育成契約も)考えた」――難病克服からの“進化”へ 困難を乗り越える阪神・湯浅京己の「今」
一時は身体に力が入らない状態にまでなった湯浅。そこから今では本格的に腕を振れる状態にまで回復した。(C)産経新聞社
「無駄じゃなかった」苦闘の日々
復活への力強い言葉と口にした目標はずっと視界を遮っていた“もや”が取れた証だった。
11月20日、ダークブラウンのスーツに身を包んだ阪神の湯浅京己は球団事務所で行われた契約更改の場で力強く決意表明した。
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「(来春の)キャンプで実戦復帰して、開幕1軍を目指して頑張りたい。手術するって決めた時には来年の開幕からいけるようにって思いはあったので」
口にした「手術」とは、8月に受けた「胸椎黄色じん帯骨化切除術」のこと。国指定の難病である「胸椎黄色じん帯骨化症」の影響で春先から右足に力が入らないなどの症状に悩まされてきた。
手術から約3か月が経過し、まだまだリハビリ過程ながら着実に前進してきた。会見の席では、「(次回の病院の)診察が終わってからはキャッチャーを座らせて投げられるようになる」と数日前に鳴尾浜球場のブルペンで傾斜を使った投球を再開したことも明かした。右足に力が入らず「投げ方が分からなった」と漏らした春先の姿を見ている身からすれば、全身に力をみなぎらせて腕を振れることが、本人にとってどれだけ大きな出来事なのかが伝わってきた。
そして、湯浅が描く「復活」は「進化」の意味合いが強い。
「良い時に戻すっていう考えは一切ないんで」
59試合に登板し、防御率1.09をマークした2022年の姿ではなく「もっと良くなると思うし、良い時よりもっと良いフォームになるように」とリハビリと並行してフォーム向上にも努める。
これは怪我の功名か、その土台は苦闘の日々で作られていた。
24年の3月上旬に体調不良を発症した後から右足の脱力に悩まされてきた。当時は病名が分からず、原因すらも不明。試行錯誤する中で、キャンプ中と同じような下半身強化のトレーニングメニューを組み込むなど、フォームを作り直した。
「下半身の感覚が無い時に、下半身に重点を置いて、一からトレーニングも見てもらって。今、キャッチボールができるようになって投げられるようになったからこそ、あの時やっておいて良かったなと。そこは無駄じゃなかった」
強化された下半身を土台にした新フォームで目指すのは、制球力の向上だ。キャリアハイの22年は1.86だった与四球率が、昨年は15試合登板のスモールサンプルながら5.02と悪化した。本人は「(今は)しっかり身体を扱いながらやっていますし、そうすることでコントロールも良くなる。(身体を扱うことを)意識せずできるぐらいまで作り上げれば必然的に出力もコントロールも良くなる」と持ち味である火の噴くような直球、決め球のフォークの精度向上を目指している。