Wソックスがメジャー最多タイ記録の4者連続本塁打を達成 日本プロ野球史に残る「5者連続本塁打」という伝説
ホワイトソックスが16日、カージナルス戦でメジャー記録に並ぶ4者連続本塁打を達成した。5回、ヨアン・モンカダ三塁手が3ランを放つと、ヤスマニー・グランダル捕手、ホセ・アブレイユ一塁手、イーロイ・ヒメネス左翼手が続いた。
4者連続本塁打はメジャー史上10度目。昨年6月9日にナショナルズ(ハウイ・ケンドリック、トレー・ターナー、アダム・イートン、アンソニー・レンドン)がマークして以来となった。
ホワイトソックスとしては2008年8月14日のロイヤルズ戦でジム・トーミ、ポール・コネルコ、アレクセイ・ラミレス、ホアン・ウリベが放って以来、12年ぶり2度目の快挙だ。
メジャーではこの4者連続が最多記録だが、実は日本プロ野球にはこれを上回る5者連続本塁打という伝説が一度だけ存在する。
1971年、東映フライヤーズ(日本ハムの前身)は4月を2勝12敗と大きく出遅れ。5月3日の敵地・東京スタジアムでのロッテ戦には9連敗中で臨んでいた。試合は9回表に5点を奪って追い付き、6-6の同点で延長へ。迎えた10回2死満塁、投手・皆川の打席となり、代打・作道烝がコールされた。
ベンチに残る野手は開幕から9打数無安打の作道だけだった。その脇役が通算4号、キャリア初のグランドスラムとなるアーチを左翼席へ架けた。
この一振りが呼び水となり、1番大下剛史、2番大橋穣、3番張本勲、4番大杉勝男と奇跡のホームランショーが続いた。球団ワーストの10連敗は土壇場で阻止された。
最悪の事態は免れたのだが、東映に吹き付ける逆風を完全にはねのけるには至らなかった。前年の1970年には野球賭博に絡んだ八百長事件「黒い霧事件」が起き、エースの森安敏明が永久追放になっていた。1971年8月には前身の東急時代からの名物オーナー・大川博氏が死去。翌1972年限りで球団経営権は日拓ホームへと売却された。その日拓も1年限りで球団経営から手を引き、日本ハムファイターズが誕生することとなる。