名球会右腕も・・・高校で「無名の控え」だったがプロ野球で活躍した選手たち
プロ野球選手は高校時代から飛びぬけた才能で活躍したイメージが強い。
実際に松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、山田哲人、筒香嘉智と日本を代表する選手たちは高校時代から強豪校の主力として活躍していた。だが、高校ではまったくの無名で控え選手だったが、プロ野球の世界に入ってから球史に名を残す活躍をした選手もいる。大器晩成で素質を開花させた選手を紹介していこう。
・黒田博樹
プロ20年間の現役生活で日米通算203勝をマーク。日本人投手で史上初めてNPBとMLBで先発投手勝利数のみで200勝を達成した。広島で124勝、米国のドジャース、ヤンキースで計79勝を挙げた球界を代表する右腕も大阪・上宮高校では補欠だった。公式戦登板は2年秋の3試合のみ。3年夏も3番手投手だった。同期の西浦克拓(元日本ハム)がエースでだったため、登板機会がなく府予選準々決勝で敗退した。
・上原浩治
巨人でルーキー1年目に20勝をマークするなど最多勝2回、最優秀防御率2回獲得。メジャーリーグではクローザーとして活躍し、13年にレッドソックスで日本人初のワールドシリーズ胴上げ投手になった。日本球界復帰後、引退した。日米通算134勝128セーブの右腕も高校時代は無名だった。東海大仰星では俊足を買われて1、2年時は外野手。3年になって投手に転向するが、エース・建山義紀(元日本ハム)の控えで登板機会は少なかった。同校も夏の大阪府大会準々決勝で敗退。建山はプロ球団から勧誘されたが、無名の上原は体育教師を目指して大阪体育大を受験するが不合格に。1浪して再度受験して大阪体育大に進学した。