中日、井上一樹2軍監督への次期監督要請に「安堵」した理由
井上監督は2011年にウエスタン・リーグ優勝とファーム日本選手権制覇に導いた(C)産経新聞社
中日は10月2日、井上一樹2軍監督に次期監督の要請を行った。3日朝の一部報道を受け、井上2軍監督が認めた。1軍の試合がまだ残っていることなどから、正式受諾は全日程終了後の7日以降となる見込みだ。
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■明るいキャラ&モチベーターの指導者
井上2軍監督は現役時代、中日ひと筋17年で5度のシーズン2ケタ本塁打を記録。左のスラッガーとして、星野仙一、落合博満両監督時代のチームを支えた。引退後は1軍打撃コーチ、2軍監督の要職につき、2011年にはウエスタン・リーグ優勝とファーム日本選手権制覇に導いている。
明るいキャラクターで知られ、故郷・鹿児島のシンボルである桜島をイメージしたピンク色のリストバンドを着用したのが印象的。「一樹(かずき)」の名をもじった「ピンキー」のニックネームで親しまれた。指導者としてはモチベーターぶりに定評を持つ。
2019年からは当時の矢野燿大監督に請われ、阪神に入団。打撃コーチだけでなく、21〜22年にはヘッドコーチとして指揮官を支えた。世界一タフで大人数と言われる在阪メディア相手にも持ち前の発信力でチームの考えを分かりやすく説き、若い選手の背中を押した。
満を持して中日に戻ってきたのが昨オフで、再び2軍監督に就任。チームに足りなかった「陽の気」を注入し、2年連続最下位だった若竜をいきなり優勝争いまで持っていき、今回の1軍監督要請に繋がった。
■「監督スターシステム」からの脱却
正直な話、今回の井上監督への要請については「安堵」の気持ちでいっぱいだ。
なぜ「安堵」したのか。長らく続いた中日の「監督スターシステム」を継承しなかったからだ。星野、落合、そして立浪和義……。現役時代にスーパースターだった人物にほぼ全権を与え、成功を収めた時期があまりにも長すぎた。
立浪政権が倒れた今、在野には(就任前の)立浪監督と同様に監督・コーチ経験のない大物OBがたくさんいる。これまでなら彼らを後任に選んでいてもおかしくなかったが、球団はそうはしなかった。
井上監督が就任した場合、1961年の濃人渉(貴実)以来、半世紀以上ぶりの2軍監督からの昇格となる。現代のプロ野球は2軍監督を経て1軍の監督に上がっていくのが王道だが、中日ではかなり珍しいケース。この事実を見ても、歴史が動いた感じがする。