中日優勝にも貢献したエンジェルベルト・ソト 忘れられない日本での経験「みんなが拍手や声援を送ってくれた」【後編】
ソトは日本のファンからの温かい声援を忘れていないようだ(C)産経新聞社、右は本人提供
2011年から4シーズンわたり、NPBのマウンドに登ったエンジェルベルト・ソト。中日、DeNAでそれぞれ2シーズンプレーしたベネズエラ出身のサウスポーは、計74試合に登板し、通算11勝6敗1セーブ12ホールドの成績を残した。
来日前は米マイナーリーグやドミニカ共和国、メキシコやイタリアでのプレーも経験している。中日のテスト入団を経て、日本でのキャリアをスタートさせた。
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「日本に来た当初は、プレーや生活面に対しての不安もありました。最初の1か月間くらいは戸惑う点も多かったです。それでも、日本の文化は自分にも合うと感じましたし、グラウンド内外の物事について、少しずつアジャストしていったことを憶えています」
米大陸や欧州でプレーした後、中日入りしたソト。日本での1年目のシーズンは慣れない環境の中、故障に苦しみながらも、リリーフや先発として実力を発揮した。初めて目の当たりにした日本野球はどのような印象だったのかを振り返ってもらった。
「自分がそれまで経験していた野球は、あらゆる面でパワーが重視されるスタイルでしたが、日本の選手はテクニックに長け、スピードも備えた選手が多かったです。試合では足を使った攻撃や、バントなどの小技なども駆使し、確実にランナーを進めるというプレーがベースとなっていると理解しました」
日本の伝統となっていた「スモールベースボール」をレギュラーシーズンの戦いの中で体感したことにより、自らのプレースタイルにも変化が必要であることに気づく。そして、日本球界に対応できるよう、投球フォームを変えることも厭わなかったという。
「やはり、ランナーを出した時は特に気をつけました。最初の頃は、1塁にランナーがいたら、2塁ではなく3塁まで進まれるという危機感が常に隣り合わせで投げていました。それくらい、スピード、技術のある打者が多かったです。盗塁でランナーを進めさせないために、投球時に足を上げるフォームから、スライドステップへの変更にも取り組みました」
中日がリーグ優勝を果たした2011年シーズン、夏場にスターターとして5連勝をマークするなど存在感を発揮。優勝争いも佳境を迎えたペナントレース終盤戦でも好投した。入団当初は2軍スタートだったものの、少しずつチャンスをものにしていき、首脳陣、チームメイトの信頼も得ることに。ファンやチームメイトとの思い出として、特に印象に残ったエピソードも教えてくれた。
「最初のシーズン、先発として登板していた阪神戦でした。投げている途中、私は打ち込まれてランナーを背負ってしまったんです。ピンチを招いた上、私もかなり疲れていました。でも、そこで内野手がマウンドに集まって、『俺たちが守ってやるから、全部出し切って頑張れ』とゲキを飛ばしてくれたんです。その後押しがすごく力になって、ピンチを凌ぎ、その試合の勝利投手にもなることができました」