歴史的なJ第1号の裏で受けた「無視」 元V川崎マイヤーが蘭放送局で赤裸々告白「私たちはチームじゃなかった」
そんな日本のスタイルにショックを受けながらも「自分ができることは何でもやった」というマイヤー氏は、伝説となったJ第1号の舞台裏を赤裸々に話す。
「(自分のゴールは)評価はされなかったと思う。彼ら(ファンや関係者)は日本人選手が、Jリーグで最初のゴールを決めることを期待していた。だから、あの時の私をチームメイトも快く思っておらず、練習や試合で無視もされた。私たちはチームなんてものじゃなかったんだ」
クラブ内におけるありとあらゆるコミュニケーション面の不足が原因だったのは想像に難くない。しかし、発展途上だった日本サッカーの水に馴染めていなかったマイヤー氏は、事実上のクビを宣告された時も自然と納得できたという。
「数試合(実際は11試合)に出た時、私はクラブの会長から呼び出された。そして、『チームと相性が良くないね』と言われたよ。何が起きているかはよく分かっていた。でも、それ(クビ)でも良かったんだ。どうせ、あの状況でサッカーをやっていても楽しくなかったからね」
一発屋のイメージとともに7月にヴェルディ川崎との契約を解除したマイヤー氏は、母国に帰国。古豪ヘーレンフェーンなど4チームを渡り歩き、1998年に現役を引退。激動のキャリアに幕を下ろした。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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