大橋会長が語る井上尚弥の心技体 「メンタル編」、衝撃のデビュー戦での落ち着きエピソードとは?
デビュー戦でも、初の世界戦でも「登場曲のサビで登場したい」と言う平常心
私がそのことを痛感したのは、2012年のプレデビュー戦でした。
普段の試合にも言えることですが、リングに上がる直前というのは勝つか負けるかの瀬戸際に立たされているわけですから、どんなに力がある選手でも多少は態度に出ます。控室や入場のタイミングが、最も人間性が現れるものなのです。大橋ボクシングジムの世界チャンピオンで言えば、川嶋や八重樫もそう。試合前の控室では10分程度、控室でひとり、体中から湯気が出るくらい心身を集中させる時間が必要なくらいです。
でも、井上にはデビュー戦からそれがなかった。普段通り私やトレーナーたちと会話し、リングに向かう際も「登場曲のサビのところで行きたい」と言ってのける男だったのです。
それは、初めての世界タイトル戦でも同じでした。この時の井上も、あまりにいつも通りだったので、私とトレーナーで「あれで大丈夫かな?」と不安を口にしていたくらいです。
それが、結果的に6ラウンドTKO。
井上尚弥の目標とは
井上には恐怖や緊張、不安を自分で解消できる。それは、私から言わせれば「24時間、強い」証拠。24年間の指導者生活で、あれだけ堂々としているボクサーは井上だけです。
そんな彼の心を支えているのは、「ボクシングを楽しむ事」と、「これだけやったんだ」という自信のほか、彼には確固たる目標があるからだと思っています。
誰もが世界チャンピオンを目指し、その目標を達成すれば「〇回防衛」「〇階級制覇」とランクを上げるのが一般的ですが、井上の一番の目標は「37歳まで現役」です。
そんなボクサー人生を設計している選手など、私はこれまで見たことがありません。それを成し遂げるために、井上は謙虚に振舞い、努力をしながらも楽しんでボクシングを続けられる。そして、心も強くしているのです。
つづく
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
大橋 秀行 (おおはし・ひでゆき)
1965年生まれ、神奈川県横浜市出身。
現役時代はヨネクラボクシングジム所属。日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得。1993年に現役を引退、大橋ボクシングジムを設立し会長を務め、八重樫東、井上尚弥等の世界チャンピオンを輩出。
井上 尚弥 (いのうえ・なおや)
1993年4月10日、神奈川県座間市出身。
今もコンビを組む父・真吾氏の下、小学1年でボクシングを始める。相模原青陵高校時代に7冠を達成し、2012年に大橋ジムからプロ入り。戦績18戦全勝(16KO)。15年に結婚した高校時代の同級生との間に17年10月、長男が誕生した。