超スローボールに詰まった大竹耕太郎の「投球哲学」 投げる時は“なんとなく”を大事に「リリースするまで決めていない時もある」
大竹のスローボールの原点は小学校時代にあるという(C)産経新聞社
移籍2年目を終えた阪神・大竹耕太郎は、どんなシーズンを過ごしたのか。全3回に分けてインタビューの模様をお伝えしていく。
第2回は超スローボールについて。大竹の代名詞の一つで、各所で話題を呼ぶ“魔球”を掘り下げる。
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これまで「投げない時期もあった」というが、基本的に大竹の持ち球の中に超スローボールは入り続けている。
原型を編み出したのは、小学4年生の時。
「(少年野球が)変化球禁止だったんですよ。どうやって三振を取るかってなったら、速い真っすぐと遅いストレートを投げるしかなかった。それで、めっちゃ三振取ってました」
本人の言う「遅いストレート」が今に続いていくのだ。次のターニングポイントになったのは済々黌高時代、2年夏のことだった。
「高校2年の甲子園に出た時、県大会の準決勝が九州学院戦でした。その時の九州学院は、春の選抜でベスト8まで進んでいるぐらい強かったんですよね。秋の大会でも負けていたし、『夏は絶対に九学倒すぞ!』と意気込んで考えたのが“スローボール作戦”でした」
準々決勝までは1球も投げなかったスローボール。ライバルとの決戦で多投した結果、大竹は見事に完封勝利をマーク。チームはそのまま勢いに乗って、甲子園出場を果たした。
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大竹はどんな感覚で超スローボールを投げているのだろうか。
「スローボールに関しては、同じフォームで投げようという意識は一切ないです」
興味深い考えだ。
「1試合100球投げるとしたら、100球全部同じフォームで投げようみたいな。そう、みんな思ってるじゃないですか。なんか僕、これが常識みたいな、別に野球に限らず世の中のこと全てですけど『それ本当にいるんかな?』とかめっちゃ考えるタイプなんです。フォームとかボールに関しても、みんな同じフォームで同じような変化球を投げるよりも、1球1球曲がり方が違う方が打ちにくくなるのかなって。フォームも極端に言えば100種類、100球投げた方が打ちにくくないかな、みたいな発想もあります」
確かにそうかもしれない。打者は投手の投球フォームやボールの球速、曲がり幅等に合わせてスイングを仕掛けていく。機械のように毎球同じフォーム、同じスピードならば、プロの打者は簡単にタイミングを合わせられる。大竹の指摘は「投手vs.打者」の真理を説いていると思う。