引退の広島・赤松のスーパープレーで呼び起こされた「米国野球殿堂入り」プレーとは?
ワンプレーで殿堂入り
山森は守備のワンプレーだけで、米国の「野球殿堂入り」を果たしている。
1981年9月16日、西宮球場でのロッテ戦。左翼を守っていた山森は、弘田澄男の左翼ラッキーゾーンへ飛び込もうかという当たりを、金網によじ上りキャッチ。誰もが本塁打と確信した当たりを好捕してみせた。
あまりに華麗なプレーに、米国の野球殿堂関係者が殿堂内にそのプレーを紹介する特設コーナーを設けたほど。写真とそのプレー映像が博物館内に展示された。もちろん米国でのプレー経験はなく、投票を得てのものではないが、「日本人第1号の米国野球殿堂入り」とはやす関係者も多い。
赤松がスーパープレーをみせた直後は「第2の山森」として日米メディアを沸かせた。約20年前で多くのファンの記憶の中でうすれかけ始めていた山森の伝説のプレーを、赤松が蘇らせた格好だ。
赤松は殿堂入りしたわけではなかったが、広島球団は粋な形でそのプレーを称えた。マツダスタジアムにその捕球シーンを模した等身大の人形を設置したのだ。翌2011年シーズン終了後まで、球場の名物的存在としてファンに愛された。
2人の共通事項
2人には他にも共通項がある。ともに規定打席には遠く及ばない打席数ながら、ゴールデングラブ賞を1回ずつ受賞している。
山森は1986年に、赤松は2010年に現役生活で唯一のタイトルに輝いた。
現在の日本プロ野球はフェンスの高い球場が多く、なかなかホームランキャッチがおがめない。ただメジャーでは多いホームランキャッチを、より外野手が安全に試むことができるように、という設計姿勢は芽生えつつある。マツダスタジアムもその一つだし、今後誕生する日本ハムの新球場にも期待は懸かる。
赤松が残した軌跡、あの伝説のプレーもまた時の流れとともに風化していくのかもしれない。それでも赤松が山森のプレーを蘇らせたように。いつの日か再びファンを魅了するフェンス際のスーパープレーが生まれ、赤松を、そして山森を蘇らせる名手が現れてくれるだろう。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]