「5月5日」のドラマチックな節目到達は逃しても、確実視されるヤクルト・村上宗隆の史上最年少200号がこれだけ評価される理由
ただ、出場試合数で比較した場合、村上の200号到達は史上最速ではない。外国人選手を除き日本人選手限定で見ても、すでに上の選手が3人いる。
もっとも、史上最速の山川穂高(697試合)、2位の田淵幸一(714試合)は、ともに大卒選手。そのため、高卒の村上との比較は、別の意味でフェアではない。なお田淵と並んで2位タイの秋山幸二は西武時代の1990年、すでに村上よりも速い714試合で200号の節目に達していた。だが、その時点で28歳0か月と、年齢でははるかに後れを取る。秋山は高卒1年目の1981年に3試合の1軍出場を果たしたが、1982年から米国へ3度の野球留学を経験。その間はマイナーリーグでプレーした。1軍定着したのは5年目の1985年からで、そういった環境を考慮すれば、大卒選手に近い括りとした方が健全なのかもしれない。若さでも、試合数でも、歴代の名選手をはるかに凌駕するスピード到達と断言していい。
3日の中日戦では今季7号ソロで、本拠地の神宮球場通算100号に到達。山田哲人の26歳10か月を抜いて史上最年少記録を樹立したばかりだ。2年前の三冠バッティングを取り戻しつつある今、200号到達にとどまらず、どんどん最年少記録を更新し続けそうだ。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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