甲子園のスターに高すぎた「プロの壁」、活躍を見たかった高卒ドラフト1位の男たち
2006年巨人高校生ドラフト1巡目・辻内崇伸投手(大阪桐蔭高校)
野球に「たら・れば」は厳禁なのは分かっていても、巨人ファンは気づいたらこんな会話をしてしまうことでしょう。
「辻内が3年夏の甲子園でのパフォーマンスを、プロでも発揮していたら…。あの剛速球、東京ドームで見たかったなあ」
聖地を沸かせた左の剛腕。3年夏の甲子園大会、1回戦の春日部共栄戦では156キロをマーク。2回戦の藤代戦では当時の大会タイとなる19三振を奪い、4強入りに貢献。あまり語り継がれませんが、実は当時駒大苫小牧の2年生だった田中将大投手からホームランも放っています。
高校生ドラフトではドラフト1巡目でオリックスと2球団競合の末、巨人に入団。「暗黒期」とも称された当時の巨人にとって、その存在はまさに希望の光でした。
しかし、1年目から肩痛を発症。現役生活は主にけがとの闘いを強いられ、1軍公式戦へと登板は果たせませんでした。それでも、抜群の人間性でどんな時も前向きに練習へと取り組んだ姿は、今でも関係者の間で語りぐさになっています。
2011年東京ヤクルト1位・川上竜平投手(光星学院高校)
みちのくを東日本大震災が襲った2011年。その夏の甲子園大会では、青森の光星学院の快進撃に人々は拍手を送りました。その中心にいたのが強打者・川上選手です。
高校時代は主に外野手としてプレーし、夏の甲子園では3本塁打をマーク。東京ヤクルトは1位で東海大甲府の高橋周平内野手を指名しますが、中日、オリックスと3球団による競合の結果、抽選を外して川上選手を指名します。それでも「将来のクリーンアップは任せた」「池山2世になれる」と高校球界屈指の強打者に燕党の期待は膨らんだものでした。
しかし、1年目は左手甲を痛めて出遅れると、ファームでも豪快な打棒は鳴りを潜め、不完全燃焼の日々が続きました。2016年秋、戦力外通告。1軍の公式戦出場はなりませんでした。
3人に共通して言えるのは、けがの恐ろしさでしょう。プロ野球選手は「無事之名馬」。相手と戦う前に、まずは肉体を万全の整えなければ、活躍の舞台は遠いということです。
今季からプロの世界に身を投じたルーキーズも、まずは心身のコンディションをしっかり整えた上で、激しい生存競争へと臨んでほしいものです。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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