医者に公認会計士も..・・・戦力外、引退後に難関突破へ挑んだ元プロ野球選手列伝
年末の風物詩といえば「戦力外通告」のドキュメンタリー番組です。
華やかなスポットライトに照らされたプロ野球の「影」の部分をフィーチャーした人間ドラマ。トップアスリートとして、生き馬の目を抜く世界で勝ち上がってきた男たちが、クビを宣告され、理想と現実にどう折り合いをつけていくのか-。
緊張感あふれる展開に引き込まれる方々も多いことでしょう。
難関突破へ挑んだ元プロ野球選手
しかしそもそも、ドラフト会議で指名を受けてプロ野球選手になれた時点で、その人には身体能力とともに、創意工夫しながら努力を重ねられる才能があると断言できます。減少しているとはいえ、野球の競技人口はものすごい。心技体が備わっていなければ、世代のトップに躍り出ることはできません。
そんな人間力を「第二の人生」にも活かして、難関突破へ挑んだ元プロ野球選手を探ってみました。
【公認会計士】
元阪神投手の奥村武博さんは引退から12年後の2013年、34歳で公認会計士試験に合格。17年に公認会計士登録し、日本初のプロ野球出身の公認会計士になりました。
岐阜・土岐商業の出身。同校では日商簿記検定二級の合格が目標となっていて、高校時代は野球に熱中する一方、簿記の勉強にも取り組んだことが、セカンドキャリアに会計士を選ぶきっかけになりました。
けがに泣き、一軍のマウンドを踏むことはかなわず、在籍4年で戦力外通告。引退後は打撃投手や飲食業などに従事しますが、24歳で一念発起、9年の勉強を重ね、合格率10%ともいわれる最難関を突破したのです。
現在では本業の傍ら、講演活動や著作を上梓するなど、スポーツ選手のキャリア作りなどについて精力的に情報発信しています。プロ野球選手の底力をいかんなく発揮した好例です。
【司法書士】
元近鉄投手の桧山泰浩さんは福岡の名門・東筑高校から1985年ドラフト1位で入団しましたが、プロ6年間で一軍出場は果たせませんでした。
同年のドラフトは「KKドラフト」としてその衝撃が語り継がれていますが、まさにPL学園の清原和博を外した近鉄が「外れ1位」で指名したのが、桧山さんだったのです。
豪傑がずらりと揃う当時のバファローズの中で、長引いた二軍生活。引退後は韓国プロ野球にも挑みますが、故障で帰国を余儀なくされます。ここで、高卒でも資格が取れることから、司法書士になることを決意するのです。
合格率3%ともいわれる難関ですが、29歳の時に2度目のチャレンジで合格。97年には司法書士事務所を開業しています。大卒ではありませんが、中学時代、高校時代も一生懸命に勉学へと励み、一定の基礎学力が備わっていたことが、その後の道を切り開くことにつながりました。