「ダルの時だけキャッチャーミットを・・・」鶴岡慎也氏が明かす ダルビッシュ「女房役」の裏側
WBCではチームのまとめ役として世界一に大きく貢献した。(C)Getty Images
開幕から2週間が経ち、各所で盛り上がりを見せているプロ野球。
一方で、いまだ余韻が残るのが、今春日本が14年ぶりの世界一奪還を達成したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)だろう。
今大会、日本の世界一には様々なキーマンが挙げられるが、そのうちの1人にあたるのがダルビッシュ有投手(パドレス)だろう。
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チーム最年長として、若手投手らを中心に技術面を伝授するだけでなく、選手らの精神的支柱としても大いに支えた。
そんなダルビッシュについて、今大会ブルペン捕手として侍ジャパンを支え世界一奪還に貢献した鶴岡慎也氏が、昨年公開された古田敦也氏のYouTubeチャンネル「フルタの方程式」の中で語っている。
2005年から約7年間にわたり、日本ハムで共にチームメイトとして戦い、バッテリーを組んだ鶴岡氏とダルビッシュ。
鶴岡氏が入団した2003年から2年後の2005年に入団したダルビッシュ。
当時、まだファームでも2,3番手捕手として試合に出ていたという鶴岡氏だが、ドラ1として注目されながら入団してきたダルビッシュの球を受けることに。
黄金ルーキーの球を初めて受けた際
「全然自分とは違う立場のピッチャーだな」
と感じたという鶴岡氏。
年齢では同氏が5つ上の先輩ではあるものの、「自分とは立場が違いすぎてものを言える立場ではなかった」という。
それゆえ、自身の置かれた立場を踏まえつつも、「必死に彼の投げたワンバウンドした球を止めたり、投げたい球は何かと様子を伺ったり、相手の気持ちを常に考えながらプレーしていました」と、がむしゃらに食らいついたという鶴岡氏。
試合中にいきなり新球種を投げると言われ、キャッチャーとしての対応力を求められたこともあったというが、それが自身の「生きる道」として全力でやってきたという。