二刀流復活の軌跡 ド軍GMが証言する大谷翔平と掲げていた“目標”「ショウヘイが『僕は何でもやる』と強く主張してくれた」
投手として完全復活を遂げた今季の大谷。そのプロセスの舞台裏が明かされた(C)Getty Images
注目された投打二刀流復活の1年は、ドラマチックな形で締めくくられた。
第7戦までもつれたブルージェイズとのワールドシリーズを制したドジャース。球団史上初の連覇をやってのけたチームの中心に今年も大谷翔平はいた。
昨季にメジャー史上初の「50-50(50本塁打&50盗塁)」をやってのけた大谷は打者として、打率.282、55本塁打、102打点、20盗塁、OPS1.014と好成績をマーク。そして6月中旬に右肘側副靭帯の損傷から復帰した投手としても、14先発で1勝(1敗)、防御率2.87、WHIP1.04、62奪三振を記録した。
今でこそ、100マイル(約160.9キロ)に迫る快速球を当たり前のように投じている「投手・大谷」だが、復帰に向けたプロセスは決して平たんな道のりではなかった。なにせ2月の春季キャンプでブルペン投球こそ果たすも実戦形式の投球練習はゼロ。身体が投打二刀流という異次元の負荷に耐えられるのかに向き合いながら最適な道のりを模索した。
通常であれば、実戦形式の練習からマイナーでの調整登板という段階を踏む。だが、打者として打線の核となっている大谷はそれができない。ゆえに公式戦復帰を果たした6月16日(現地時間)のパドレス戦(1回で降板)以降も、ドジャースの首脳陣は常に再発の可能性を懸念しながら慎重にステップアップを図っていった。
おそらく本人も含めて共通していた“目標”があった。それは「10月のことを考えよう」というものだった。
現地時間11月6日に米紙『New York Post』のポッドキャスト番組「The Show」において、「あれほど独特な状況でリハビリをやり抜いた彼の経験したことを言葉にできる人間は地球上にいないだろうね」と振り返ったブランドン・ゴームズGMは、「全てのリハビリプロセスを終えるのも10月の最終目標を頭に入れてのことだった」と証言している。






