引き立つ大谷翔平の清廉さ、対照的な20年以上前の全米屈指の”ワーストディール”と評判の後払い方式とは
ボニーヤはプエルトリコ出身の、オールスター選出6度を誇る名外野手だった。1997年にはマーリンズの一員としてワールドシリーズ制覇に貢献した。1999年はメッツでプレー。プレーオフ進出に貢献したが、敗退したナ・リーグ優勝決定シリーズ中にロッカールームでトランプに興じていたことが発覚し、球団から解雇された。
この時点で翌2000年、年俸590万ドルの契約が残っていた。支払い義務はメッツに残る。そこでメッツは後払い方式をボニーヤ側へ提案。年率8%もの金利を乗せて、2011年から25年間、年120万ドルを支払うことで両者が合意した。
ボニーヤは2001年限りで引退。その後、2011年から毎年7月1日に、メッツから120万ドルが支払われ続けている。8%の金利が乗り、支払いも10年以上遅らせたために、この残額の支払いはボニーヤが72歳になる2035年まで続く。2035年までに支払われる合計は2980万ドル(約43億円)にものぼり、590万ドル(約8億5000万円)の支払いを先送りしたがために、莫大な額に膨れ上がった悪例として名高い。メッツファンは皮肉を込めて、毎年7月1日を「ボビー・ボニーヤ・デー」と呼ぶ。
大谷の後払いも、数%の金利を乗せれば種銭が莫大なために、大谷の手取り分が大いに膨らんでいた可能性が高い。そこは拒んで、チームのために示した献身的な姿勢。ボニーヤが残した悪名と、実に対照的な名声が賞賛されるわけである。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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