「未来ばかり追いかけるのはやめた」網膜剥離、人工関節…過去の苦難を「心の筋肉」に 難病と生きる大山峻護がたどり着いた「想像を超えた未来」
自身に向き合う現在は「いい意味で力が抜けている」という
「もう歩けないかも」両膝人工関節からの全力疾走
かつて総合格闘技のリングで数々の強敵と渡り合った元格闘家・大山峻護さん。前編では、難病「トランスサイレチン型心アミロイドーシス」の診断を受けながらも、その運命を「ギフト」として受け入れているメンタリティの源泉を伺った。後編となる今回は、引退後も続く試練と新しい挑戦について話を聞いた。
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――現役時代の激闘により膝を酷使した大山さんは、3年前に両膝の人工関節手術を受けていますね。
尊敬する武藤敬司さんの影響で両膝同時に手術したんですが、これがもう、めちゃくちゃ痛くて(笑)。リハビリ中も「もう普通に歩けないんじゃないか」と毎日不安でした。
――リハビリを乗り越えて、今は膝の心配はなくなりましたか?
おかげさまで、今ではすっかり生活に支障がないようになりました。医師には負担が大きい運動は止められていたのですが、最後に一回、全力で走りたいという思いがありました。仲間や医師に相談し、総合格闘技の引退試合の対戦相手だった桜木裕司選手にも快諾いただき、ランニングスタジアムで全力疾走勝負を実現できたんです。手術前から何年も膝が痛くて、歩くこともままならなかったのに、久しぶりの全力疾走。仲間が見守るなか、風を切って走れた時の喜びは言葉にできませんでしたね。3年前に手術した時は、こんな景色、全力疾走なんて考えられなかったです。
――その経験は、今回の難病との向き合い方にも通じますか?
まさにそうです。僕は現役時代、「大晦日にピーター・アーツと戦って勝つ」といった具体的な目標を思い描き、それを形にすることが得意でした。しかし、両膝のリハビリの時は、具体的な目標が立てられず、初めてそれができなくて。でも、とにかく目の前の一日一日を頑張っていたら、想像を超えた未来が待っていました。だから今回病気になったのも、きっとまた想像を超えた未来が待っているんだろうなっていう楽しみがありますね。
――他にも、「想像を超えた未来」はありますか?
2025年に入ってから絵を描くようになりました。仲間との食事会の時にたまたま僕が描いたイラストがウケて、そこから絵に目覚めて毎日のように作品をつくるようになりました。今まで格闘技しかしてこなかったので、画材を買いに行ったり、新しいものに出会う日々がすごくワクワクしています。
――難病になってから絵を描くことに変化はありますか?
告知前から描き始めましたが、難病になって絵を描くことの意味が変わりました。元気なうちに何か残したい、表現したいという気持ちが強くなっているんでしょうね。今は油絵とか立体作品とかにも挑戦して、毎日SNSにアップしています。楽しく描いていた絵が、難病になって言葉にエネルギーが入るようになって、見る人が「励まされる」と言ってくれるようになりました。絵を描き始めた時はそんなことを思っていなかったですけど、みんなの心に響いてくれているなら嬉しいですよね。僕にとって難病はギフトなんだなと実感しています。
――格闘技の経験が活かされている部分はありますか?
格闘技時代に培ってきた集中力がすごいんですよ。だから、絵を描き始めると没入しちゃって、ずっと描いていられます。ただ…、絵を描いていて「もうちょっとここを足そうかな?」ってやってみたら変な方向に行ってしまい、「あの絵にはもう会えないのか…」って、難病を宣告された時より落ち込んだりしますけどね(苦笑)。





