ヤクルトに迫る「セ・リーグ初の屈辱」 リーグ連覇後の最下位は球界全体でも過去1例のみ

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 では、連覇から最下位という唯一の前例である1981年の近鉄の内情はどのようなものだったのだろうか。

 近鉄は2連覇の立役者であったチャーリー・マニエルがオフの契約更改で球団側と決裂して退団。1979年は打率.324、37本塁打、94打点でMVP、1980年は打率.325、48本塁打、129打点していた大黒柱の退団が痛かった。

 2桁勝利投手は10勝の柳田豊のみで、左右の柱の鈴木啓示と井本隆はそろって5勝に終わった。今季のヤクルトは2桁勝利は10勝の小川泰弘だけ。このあたりの変化は両球団に共通しているのかもしれない。

 なお近鉄はこの悲劇の1981年を最後に、名将・西本幸雄監督が退団。後に野球殿堂入りを果たしたが、ユニホームを再び着ることはなかった。ヤクルトの高津臣吾監督は、5年目となる来季も続投することが既に発表されている。当時60歳を超えていた西本監督と異なり、高津監督はまだ54歳と若い。一敗地にまみれたが、リーグ連覇を経験したチームを来季どう再建するのか。その手腕にもう一度期待したい。





[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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