「高校野球を変えたい」開拓者、慶應高・森林監督が就任時から目指した頭髪以上に伝えたかったこと
森林監督率いる慶應高校は19日8時から沖縄尚学高校と準々決勝を戦う(C)ACPHOTO
高校野球界を変えたい
優勝候補の一角、名門・広陵高校を延長タイブレークの末に6-3で下した時、慶應高校・森林貴彦監督誕生時の言葉を思い出した。15年ぶりにベスト8進出に導いた森林監督が当時、敢えて「甲子園出場」というキーワードをあまり使うことをしなかったのが印象的だった。
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現代の高校野球指導者の中では異色の経歴を持つ森林監督。慶應義塾普通部から慶應高校、そして慶應義塾大学を卒業後、民間企業でサラリーマンを経験した後、指導者の道を志す。筑波大学大学院でコーチングを学び、つくば秀英高校で高校野球の現場を体感し、筆者が大学4年時の2002年には慶應義塾体育会野球部で臨時コーチとして大学での指導も学んできた。
そして、現在は慶應幼稚舎で小学校教諭として教壇に立ち、小学三3年生の担任教師を務め、小学校のクラブ活動では野球指導も行っている。高校野球界の指導者として、小学校から大学までの生徒と向き合い学んできた人間は数少なく、今もなお日中は小学生、夕方前からは高校生と向き合っている。そんな指導者は聞いたことが無かった。
就任時にこんなことを聞いたことがあった。
「森林先生、塾高(慶應高校の略称)の監督になられても幼稚舎教師は続けられるんでしょうか?」
森林監督は即座にこう答えた。
「もちろん続けますよ。小学校の授業が終わって渋谷区の天現寺交差点から日吉のグランドまで何で行くのが一番早いと思います?電車かな、バス?時にはバイクを使うのも考えないといけないと思ったりしていますよ。僕は教育者ですから。球児だけと向き合う時間だけではありません。小学生と向き合うことによって、グラウンドでは見えないものが見えるようになると思っています。多感で無垢な10歳前後の生徒から得られるものがあります。小学生も高校生もここで終わりではなく、これからの未来が待っていて将来に導いてあげる指導者になりたいと常々考えています」
監督就任時から“高校野球を角度を変えて観る重要性”や“教育や指導における固定化された概念を時代に合わせて変革する推進力”を重視する森林監督の姿があった。
通称・蝮谷(まむしだに)と呼ばれる横浜の日吉にある慶應高校のグラウンド。取材に行くと森林監督、赤塚部長、馬場副部長が熱心に指導に当たるという風景は見受けられない。穏やかな表情で100人以上いる部員の姿を“見守る”と言った方が相応しいかもしれない。授業が終わった後の平日の練習メニューもミーティングの内容も選手たちが決めていた。