首位打者、トレード、戦力外…鉄平氏が語る、紆余曲折な現役生活でのターニングポイントとは
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現役中は華々しい活躍もあった一方で、怪我や不調に苦しみながら2016年に現役を引退した。そんな鉄平氏に、今回CoCoKARAnextで独占インタビューを実施。初回となる今回は現役中を振り返り、自身のターニングポイントとなったあるできごとについて語ってくれた。
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2000年、津久見高校からドラフト5位指名にて中日に入団した鉄平氏。入団後3年間は一軍での出場は無かったものの、4年目に一軍初昇格を果たし、プロ初安打も記録した。
だが、その後、なかなか出場機会に恵まれず、2005年のオフに当時の落合博満監督の配慮もあり、楽天へトレード移籍。移籍初年度からいきなり打率.303を残すなど、一気に飛躍の年となった。
自身のプロ野球生活を振り返り、この楽天への移籍が大きなターニングポイントとなったという鉄平氏。
当時を振り返り、このように語っている。
「正直、3割打てたのがちょっと信じられないような感じでした。まだ一軍の試合にほとんど出場したことのなかった僕が、運よく抜擢していただいて、雲の上の目標だった一軍で3割を打つという目標がすぐに達成できて。にわかには信じられない感じでした。
ファームでは3割打てて当たり前だくらいには思っていましたが。1軍となると雰囲気も変わりますし、ましてやリーグも違うので。その中でも3割打てたのは自信になりましたが、それ以上に驚きでした」
その後、ブレイクを果たし、2009年には打率.327を残しパ・リーグ首位打者に輝いた。
だが、2011年、それまでとは一転、不振に陥る日々が続いた。
「技術的なところなんですが、打てなくなった要因は、お尻でした。打ちに行くときの出力の仕方なんですが、適切な動きができていなかったんですよね。それに気がつかずに違うところをいじり回してしまって、全体のバランスがおかしくなり、元に戻れなかったという感じです。
2011年以降は自分のスイングがすごく気持ちの悪いものだったんですよね。練習していても、ずっとそうだった。ハマることがなかったんで。自分の思った通りにまったく体が動けなかったので、練習していても、『なんか居心地が悪いな』と。楽天時代終盤はずっとそんな感じでした」