「背番号の呪い」とは? 巨人、サッカー日本代表etc.

タグ: , , 2019/1/16

 スポーツ界で「背番号の呪い」がクローズアップされる出来事が相次いだ。

 19年1月7日、巨人の長野久義選手(34)がFA人的補償として、広島へ移籍することが発表された。他球団からのドラフト指名を2度断ってまで念願の巨人入りを果たし、入団時からレギュラーで優勝にも貢献。ベテランになったとはいえ、忠誠を誓ったチームから生え抜き中心選手が見放された形になり、大きな波紋を広げた。

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巨人軍の背番号「7」の歴史…


 長野の背番号「7」は、巨人では「呪いの番号」とささやかれる。本来なら「ラッキーセブン」で縁起のいい数字のはずだが、なぜか不運に見舞われる選手が多い。

 長野の前につけていた二岡智宏(99年~08年)は入団から遊撃レギュラーをつかんだバリバリの中心選手だが、女子アナ・山本モナと不倫騒動を起こし、日本ハムへトレードされた。吉村禎章(86年~98年)は守備中に味方野手と激突し、左ひざ靱帯断裂の重傷を負った。

 両打ちの助っ人レジー・スミス(83年~84年)は、ファンと小競り合いを起こして書類送検された。柴田勲(70年~81年)は現役引退後、トランプ賭博で摘発された。桑田武(69年)はヤクルト移籍後にオートレース八百長疑惑(黒い霧事件)の一端を担ったとして逮捕されている。

 与那嶺要(51年~60年)は首位打者3度と活躍したが、当時の川上哲治監督と衝突して戦力外となり、中日に移籍した。初代7番を背負った筒井修(36年~37年、41年)は名門・松山商で甲子園優勝を果たした期待の星だったが、戦地で指を失い選手生命を絶たれた。7番の「負の連鎖」が止まらないのだ。

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