「選手たちを叱る意味を年々感じなくなってきています」―令和の指導法の在りかたをめぐって―仙台育英・須江航監督の言葉から考える
――さきほどの「シャッターが早く閉じる」という須江監督の話に関して、何か考えられる要因はありますか。
村中 叱られたときの反応で多いのは「戦う」か「逃げるか」。シャッターが開いている間は戦っていて、自分の言い分を相手にわからせようとしている。
でも、閉じているということはもう逃げているのかもしれませんね。ファイトする気力が残っていない。たいていの子は、「叱られているこの場を早く終わらせたい」としか思っていません。苦痛を感じないために、心を閉ざして、自らの感情にフタをしていると言ってもいいでしょう。
――自分の主張を口にするよりも、黙っていたほうがいいという思考ですね。
村中 では、その思考がどこから始まっているかとなると、教育現場における”自由度の少なさ”が密接に関わっていると推測しています。具体的に言えば、「自分で選択する機会がとても少ない」。
教員や指導者が、「この方法でこれをいつまでにやってください」と方法論と目標をセットで教えることによって、子どもたち自身が自己決定する場が失われます。そして、縛られたルールからはみ出る子どもは叱られてしまう。
こうなると、子どもたちの心に残るのは「圧倒的な無力感」。自分で物事を決められず、変えることもできず、相手(権力者)の言うとおりのことをしなければ評価されない。
だから、戦おうとは思わないんですよね。外から見たときには、「我慢強く、先生や指導者の言うことを素直に聞く子」と見られるかもしれませんが、内面は決してそうではないのです。ただ、あきらめているだけです。
(後編に続く)
【参考文献】
【著者】
大利実 (おおとし・みのる)
1977年生まれ。
横浜市港南区出身。
港南台高(現・横浜栄高)-成蹊大。
中学軟式野球や高校野球を中心に執筆活動を行っている。
著書に「高校野球激戦区―神奈川から頂点狙う監督たち」など多数。
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