「27球で試合終了になってもいい」 阪神矢野新監督の超積極野球とは
--現役時代は中日、阪神の2球団で6人の監督に仕え、優勝も経験した。歴代監督に学んだ部分は多かった。
「今、僕が選手に話していることって、精神的部分は星野監督、頭脳的な部分は野村(克也)監督が多いんですよ。星野監督からは勝負にこだわる気持ち。いまは高校大学の先輩が相手チームにいるから、試合前にあいさつにいきますよね。東北福祉大の先輩だった大魔神・佐々木(主浩)さんにあいさつをしたとき、星野監督に『てめえ、この野郎、今から戦いをするのに、なに相手に頭下げとんじゃー』と。ファンが球場に入っている時、違うユニホーム同士で話すのは違和感がある。そういうファンを大事にするっていうのも、すごく教わりました」
--阪神1軍作戦兼バッテリーコーチだった昨季、ヤクルト戦の乱闘でバレンティンに突き倒され、そのあと膝蹴りをお返しし、退場処分を受けたことがありました。熱血漢だった星野監督の影響もあるのか。
「試合への熱い気持ちは大事ですが、選手には乱闘禁止と伝えています(笑い)。星野監督には中日時代にトレードで出されて『見返してやる』という思いのほうが強かった。そしたら阪神の監督として同じチームにきた。『また捨てられるのか』とも思った。阪神では中日時代と違って声をかけてくれるようになり、試合でも使ってくれた。現役をやめるときに「よく頑張ったな。お前のおかげで優勝させてもらった」といわれて感無量でした」
--現役時代に12本のサヨナラ打(犠飛含む)を放ち、勝負強い打撃が特徴だった。
「野村監督の、ひとことがすごく大きかったんです。僕はストレートを狙って変化球に対応できるようなバッターではない。そうなると『読み』しかない。ボールが来る前に勝負をすることを言われました。考えた球が来なくて見逃し三振をしても、自分の中ではその前に勝負をしているので仕方がない、と割り切れるようになった。規定打席で打率3割を打てたのも、野村監督のときが最初でした」
--捕手としてノーヒットノーランで2度(中日野口茂樹、阪神川尻哲郎)マスクをかぶっている。
「中日では中村(武志)さんがいて、リードを盗もうと必死だった。野村監督には『感じる力』を勉強させてもらった。ベンチで見ていて野村監督が『走るぞ』と言うと、走者がスタートを切る。なんでやろ?と。走者のリードオフで1歩目の違和感、リードの体重のかかり方など、いろんなことが感じとれるようになった。バットを短く握ってるからバントかな、ちょっと投手が不安そうだからマウンド行こうとか。状況や人をよく観察することで視野が広がりました」
--投手に求めるものは
「どうすれば自分の投球が1軍で通用するのか考えさせたい。クイックは1・25秒ぐらいは切ってほしいけど、ブルペンでそういうことはあまり気にしないで、気持ちよく投げる子が多い。もっと、気持ち悪く投げてほしい。1・25秒を切るモーションで投げたらどうなるのか、というところから逆算してほしい。いい投手はブルペンから試合を意識してやっていますからね」
自らが学び、感じたすべての経験を糧に導き出した答えが「超積極野球」。矢野新監督のタイガース改革が始まろうとしている。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
矢野 燿大(やの・あきひろ)
1968年(昭43)12月6日、大阪府生まれ。桜宮―東北福祉大を経て90年ドラフト2位で中日入団。97年オフに交換トレードで阪神移籍。ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞2度。08年北京五輪代表。10年に現役引退し、16年コーチで阪神復帰。181センチ、78キロ。右投げ右打ち。