中日・大島洋平の「生きる道」を考える 40歳シーズンで再び居場所を掴むには

2軍で調整する大島の再起に期待だ(C)産経新聞社
球界屈指のヒットメーカーが慣れない稼業に苦しんでいる。中日・大島洋平のことだ。
竜打線を長年けん引してきた巧打者は、昨季から主に代打での起用に。今季も開幕から安打が出ず2軍降格。今年11月に40歳を迎えるなか、苦しいシーズンを送っている。
大島といえば2010年の入団以来、中日を攻守で支えてきた外野手で、今や数少ない優勝経験者のひとりだ。2012年から23年の12年間、100試合出場&120安打以上をマークし続ける安定感は他の追随を許してこなかった。
その状況が変わったのが昨季で、時の政権の方針により若手優先の煽りを受け出番が激減。代打での出場が大半を占めるように。また、脚と肩の衰えもあってか、守るのは左翼に限定されていた。結果、自己最少の75試合出場にとどまり、打率.198とらしからぬ数字が並んだ。
■オープン戦ではまずまずだったが…
今季は例年通り春季キャンプは2軍でじっくりと調整。3月初旬のオープン戦から1軍に合流すると、8〜9日の日本ハム戦(エスコンF)では2試合で3安打2打点の活躍。いずれも指名打者での出場だったが、健在ぶりを示した。
オープン戦を打率.263とまずまずの数字で終え、開幕を1軍で迎えるも、そこからがうまくいかない。開幕から10打席ノーヒット、四球を1つ選んだのみで4月11日に登録抹消された。上に上がってくるのが同じ左打者の高橋周平、ジェイソン・ボスラーだったので、致し方ないところだ。
惜しむらくは唯一のスタメンだった4月4日、ヤクルト戦で結果を残せなかったことか。この日は「7番・左翼」で出場したが、内野ゴロ2つで代打を出されてしまった。