【現地発】限界の先へ――山本由伸が見つけた「新しい自分」とさらなる進化 日本人初のサイ・ヤング賞は射程圏内に
シーズンを通して圧巻のピッチングを見せた山本。来季はCY賞も現実となるか(C)Getty Images
ドジャース山本由伸は、もっと進化する――。球団初の2連覇に貢献した右腕は、日本人選手では2人目となるワールドシリーズ(WS)MVPを獲得。その後の会見で語った言葉が印象的だった。
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「限界を超えたっていう感覚はないですけど、プロに入って、2日連続登板するっていう経験は初めてだったんで、そこに関してはまた1つ新しい自分が、いけるんだっていう自信になりました」
第2戦で完投し、王手をかけられて負けられなかった第6戦で6回5安打1失点と好投。チームを救った。第7戦ではクローザーを務め、中0日で胴上げ投手となったことは記憶に新しい。メジャーの歴史上、今後も語り継がれる伝説を作ったが、山本は連投ができるという「新たな自分」を発見し、胸を張った。
根幹には「もっと、よくなりたい」というシンプルな気持ちがある。宮崎・都城高校から2016年にドラフト4位でオリックスに入団し、中継ぎで頭角を現したのが18年シーズン。19年から先発を任され、21年から3年連続の沢村賞を獲得するなどタイトルを総なめした。23年のWBCでは侍ジャパンの世界一に貢献し、ドジャースでは2連覇の原動力となった。徐々に道を切り開き、日本人初のサイ・ヤング賞を獲得できるまでの投手に成長。10月下旬、ワールドシリーズ開幕の前日に、これまでの野球人生をこう語った。
「高校の時も甲子園に行ってないですし、中学の時も特別に強いチームでもなかった。オリックスに入った時も弱かった時代で、そこから何年か連続で下位というのを経験して。そこから強くなっていく過程も経験できたし、その後、強いチームはどういうのかというのも経験できしたし、今こういうすてきなチームでプレーできているので、いろんな時を経験して頑張り続けて、今こういうところにいるのかなと思います」
山本自身の奮闘はもちろん、世界一の投手と称されるまでになれたのは、周囲のサポートがあってこそでもある。プロ1年目の頃から、肘が張りやすい悩みがあった。その後、大阪で接骨院を営む矢田修氏に師事し、独自のトレーニングを継続した。ドジャースに在籍以降も定期的に指導を受け、10月のポストシーズンで改めて着実に強くなった身体の耐久性を実感した。





