山本由伸争奪戦の”最終候補”に残っていたジャイアンツが敗れた理由とは
山本のドジャース入りは現地でも衝撃を広げている(C)Getty Images
現地時間12月27日(日本時間28日)、ドジャースへの移籍が決まった山本由伸投手が入団会見を行った。右腕の獲得レースには複数の球団が参戦する大争奪戦となっていたが、最終的には総額3億2500万ドル(約460億円)の超大型契約でドジャースと合意した。
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現地の報道では、ヤンキースとメッツのニューヨーク2球団がドジャースの対抗馬として名前が挙がっていたが、山本の代理人を務めたワッサーマン・グループのウルフ氏は争奪戦の最終候補に残っていたのはジャイアンツだったと明かした。
米メディア『The Athletic』のファビアン・アルダヤ記者は自身のX(旧Twitter)を更新し、ウルフ氏が「彼(山本)はサンフランシスコが大阪を思い起こさせ、美しい街だと思っていた。もしドジャースが彼を追いかけていなかったら、サンフランシスコに行く可能性は十分にあった」と語ったことを紹介。ヤンキースでもメッツでもなく、ドジャースの対抗馬に残っていたのはジャイアンツだったようだ。
大谷翔平の争奪戦にも参戦し、二刀流スター2人の獲得に乗り出したジャイアンツ。争奪戦の敗因に本拠地があるサンフランシスコの治安の悪化を挙げる声もあるが、ジャイアンツの地元メディア『NBC Sports Bay Area』は、「ジャイアンツはヤマモトの獲得レースでドジャースに敗れたが、ウルフ氏のコメントから、彼の決断がサンフランシスコに来ることへの不安とは無関係であることは明らかだ」と指摘した。