「無名」から「ドラ1候補」へのし上がった男 最速159キロ右腕、中村優斗が切り開いた道

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中村の評価は高い。ドラフトでの上位指名は確実だろう(C)尾関雄一朗

■“無名”への反抗心が飛躍の糧に

 ほんの1年ほど前まで、全国的にはずっと無名だった。その状況に対し、反抗心や野心を胸に愛知工業大の中村優斗は励んできた。「全国で騒がれているピッチャーと比べても、自分は負けていないと感じていました」と明かす。だからこそ飛躍できた。

「高校3年夏の甲子園(コロナ禍による交流試合)を見ていても、145キロを出すピッチャーはあまりいなかった印象です。大学で全国大会に出て、150キロ出したら評価されるかなと思っていたんですが、全国には出られなくて、150キロ出しても全然って感じで……。自分の実力がどのレベルか、評価されない悔しさはありました。野球の実力で有名になりたい、知ってもらいたいという思いがありました」

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 諫早農高時代は2年春夏に県ベスト8入り。この時すでに球速を140キロ台に乗せている。愛知工業大では1年春からリーグ戦で先発登板し、1年秋には球速150キロを突破した。しかし、評判はローカルの域を出なかった。

 今年3月、侍ジャパン・トップチーム強化試合に大学生ながら選ばれ、いよいよ中村が脚光を浴びた。前年冬、侍ジャパンの大学代表候補強化合宿で最速157キロ(当時)のストレートを投げ、アピールに成功していた。

 けっして自らを過大評価していたわけではない。自身の性格はマイペースで穏やかだという。だが野球では高い次元を渇望し、ストイックに鍛錬を積み上げてきたことは間違いない。大学で本格的にウエイト・トレーニングを始めてパワーアップを実現。トレーニング内容は自ら改良を重ねている。ストレッチなど身体のケアにあてる時間も1日3時間は下らない。投球フォームや技術の話はよどみなく口をついて出る。

■高校半ばまでは「至って普通の人間」

 ただ、以前は正反対で、野球に思い入れがなかった点も中村らしさだ。諫早農高への進学は、県庁など公務員への就職を意識したものだった。小学2年で野球を始めたのは、小学校にサッカーのチームがなかったから。高校の部活選択の段階でも惰性半分だった。

「将来やりたいこともなく、自分の性格上、安定を求めていました。至って普通の人間だったので…。野球も特に優れているわけでもなく、中学までは球速も運動能力も平凡でした」

 指導実績豊かな高校時代の宮原寛爾監督(当時)のもと、「走り込みなどの日々の練習で、勝手に球速が速くなっていきました」(中村)。さらに、東福岡高時代の先輩から中村の評判を聞いた愛知工業大・平井光親監督(元ロッテ)による熱心な勧誘で、大学で野球を続け、道を切り拓くと決意した。

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