羽生結弦のつくり方 どうやったら我が子をゆず君みたいに育てられるのか?

タグ: , 2019/3/28

◆中学生
 父の教えは「スケートだけの人間にはなるな。勉強も両立しないといけない」。練習が忙しくなり、大会出場のため学校は欠席がちだったが、遠征先で時間を見つけては勉強に励んだ。学校に行ったときは「休んで、みんなに迷惑をかけているから」と掃除係などを率先。リンク上では持ち味の「ナルシスト」的な部分に磨きをかけ、表現力をさらに高めていった。

◆高校生
 東北高校1年時、東日本大震災で被災した。仙台アイスリンクで練習中だった羽生は大きな揺れに襲われ、泣いて震えていたという。リンクの氷は割れ、建物も半壊状態。家族で4日間、避難所生活を強いられた。「生きていくだけで精一杯。こんな状況でスケートをやっていていいのか」と悩んだが、母が「こんな時だからこそ滑らなければならない」と練習拠点を探して、関係者に片っ端から頭を下げて回っていた。その姿を見て「僕は自分のためだけに滑ってるんじゃない」という決意が揺るぎないものになった。3年時、さらなるレベルアップを目指して地元仙台を離れ、ブライアン・オーサーコーチのいるカナダに移住し、母と2人で暮らしている。

◆両親の関わり方
 教育方針は「子供の自主性を尊重する」。子供にやらせるのではなく、子供が関心を持ったことに、可能な限り協力する。父は一歩下がって「おっ、頑張っているな」と声をかけて、見守るスタンス。野球以外にもアスレチックに連れて行き、バランス感覚を鍛えさえた。母は節約のため、羽生の髪を自分で切り、小学生のころフィギュア界で「仙台にマッシュルームカットの天才がいる」と言われていた。11年まで試合の衣装は母の手作りだった。栄養管理の勉強をし、メンタルコントロールについても学んでサポート。両親が表舞台に出ることはなく「頑張っているのは本人であって、親は関係ない」という考えを持ち、取材などを断っている。

 あるインタビューで「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多い。どうしたら羽生選手のように育つと思いますか」と質問された羽生はこう答えた。

 「僕は僕です。人間は一人として同じ人はいない、十人十色です。僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけじゃなくて、いいところを見つめていただければ、子供は喜んでもっと成長できるんじゃないかと思います」

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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