医療機器メーカー・白寿生科学研究所がプロ野球選手を積極的に採用する理由
「野球選手だった人はコツのつかみ方、努力の進め方が凄い」
医療機器メーカー・白寿生科学研究所の原浩之副社長と昨年限りでDeNAを現役引退し、船橋中央自動車学校と鎌ケ谷自動車学校の営業部長として働く林昌範の対談が実現。元プロ野球選手のセカンドキャリア、企業が社員を採用する際の着眼点などで熱く語り合った。プロ野球の話題ではトラックマン(高性能弾道測定器)などビッグデータの導入で現場のコーチに今後求められる能力にも話題が及び、無類の野球好きの原副社長の豊富な知識に林が驚く場面も。対談は1時間半を超える盛り上がりぶりだった。
林 「昨年プロ野球を現役引退して現在は千葉県の船橋中央自動車学校と鎌ケ谷自動車学校で営業部長として働いています。父親が経営している会社にまだ入社したなので勉強中ですね。船橋と鎌ケ谷で指導員が45人ずついます。顔と名前をやっと覚えてきた感じですね。スポーツ界のセカンドキャリアってうまくいかないイメージが正直強いんです。『野球しかやってきてないでしょ』と言われてきました。でも体育会系の方が挨拶はしっかりしているし、良い部分もしっかりあると思うんですよね」
原 「プロ野球とは違う世界で色々大変な部分もあると思います」
林 「そうですね。僕は子供の時から『教習所で働くんだよ』と言われてきました。自分の中では高校まで野球一筋でやってきてプロ野球に行きたいという気持ちがあって、教習所は頭になかった。ドラフト7位で巨人に入団した時も周りから『ダメなら教習所がある』と言われたのが反骨心になって。プロ野球で絶対成功してやると思っていました」
原 「うちの会社は元楽天の高堀和也、元巨人の小野仁、元南海の田口竜二、元横浜の森大輔、元ヤクルトの西崎聡、元ダイエーの松信康、元広島で育成選手だった富永一が社員で働いています。みんな投手ですね。野球しかやっていないという捉え方でなく、甲子園、プロ野球に行くぐらい何かに打ち込んできたと評価しています。輝かしい時期だけではありません。引退してからケガ、挫折、夢がつぶれる。人より夢が大きい分、挫折も大きい。だから人の痛みもわかる。小野仁は27歳で現役引退しました。近鉄で最後に投げた時はバッティングゲージにも投球が入らなくなったそうです。引退後も今の自分を受け入れられなくて皿洗いしたり、キャバクラの黒服をやったりして。野球詳しいと聞いたら接客していたと。話をすると優しい人間なんです。でも絶望している時はこちらも何もできない。立ち上がろうとした時に出会ったのがうちの会社です」。
林 「社員を採用される際、何を基準にしていますか?」
原 「新卒の社員を取る時は『人の役に立ってうれしい人』を見ています。『おれが一番だ、稼ぐぞ』という人は合わない。『おまえがいるから頑張れる』とか人の役に立つことがうれしい人に入ってもらいたいというのが会社の理念です。その点、野球選手はチームスポーツなので誰かと同じ目標を一緒に追いかける。思いやりがあるんですよ。西武の秋山翔吾選手は日本記録のシーズン216安打を達成した翌年に171安打に減りましたが、四球は77と前年の66より増えました。その時に「自分の前を打つ金子侑司が盗塁王を取った。僕がそれだけ球を待っていたからだと思うとうれしい。前年に僕が最多安打を打てたのもすぐ後ろを打つ栗山さんが待ってくれたおかげです」と話していたのが凄く印象的でした。強烈な個性を持った人たちがチーム打撃をしている。助け合いなんですよね。野球選手はそれができるんです」
林 「勉強になります。指導員が年配の方が多いので定年になると若い人材を入れなきゃいけない。募集をかけて履歴書を見ますが紙だけではわからない部分もある。凄く興味がありますね」
原 「野球選手だった人はコツのつかみ方、努力の進め方が凄いと思うんです。会社1周年の時に森大輔がリラックマの着ぐるみをを着て呼び込みをしている映像を見て涙が出ました。こいつ本気なんだなって」
※対談の続きは5月5日に掲載予定です。
■編集部からのお知らせ
3月7日に発売の雑誌「CoCoKARAnext」では読売ジャイアンツ・菅野智之投手のインタビューの他、プロ野球選手に学ぶ仕事術などストレスフルな時期を乗り越える情報を掲載。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部 平尾類]
原 浩之(はら・ひろゆき)
1971年4月15日、東京都生まれの47歳。94年に慶大を卒業して銀行員を経て98年白寿生科学研究所入社。00年に同取締役、03年に営業本部長、15年から副社長に就任。都内・富ヶ谷にある同社本社敷地内の音楽ホール「Hakuju Hall」の支配人も務める。昨年6月に慶大大学院メディアデザイン研究科の特任准教授に就任した。
林 昌範(はやし・まさのり)
1983年9月19日、千葉県船橋市生まれの34歳。市立船橋高から01年ドラフト7巡目で巨人入団。06年に自身最多の62試合に登板と主に救援で活躍。08年オフにトレードで日本ハムへ移籍した。12年からDeNAに加入。昨オフに現役引退した。通算成績は421試合で22勝26敗22セーブ99ホールド、防御率3・49。186センチ、80キロ。左投左打。家族はフリーアナウンサーの京子夫人と1男1女。