輝き続けるココロのあり方:白寿生科学研究所
音楽家・アーチストとアスリートは共通点が数多くある。練習や準備、コンサートは試合に例えられたり、そのパフォーマンス、ストーリーはメディアに取り上げられ、聴衆・ファンに様々な感動をもたらします。アーチストもスポーツ選手に力をもらうことがあるといいます。
今回のこのシリーズのインタビューはスイスを拠点に活躍するチェリストの新倉瞳さん。
常に挑戦し、輝き続けるココロのあり方について、Hakuju Hallの支配人も務める白寿生科学研究所の原浩之副社長と語り合いました。
気持ちのいい苦労を経てようやく「みんなのチェリスト」へ
新倉 2010年から、スイスに留学しました。20代前半には森下仁丹さんの「ビフィーナ」のイメージキャラクターとして、CM出演もさせていただきました。21歳でCDデビューして、メディアへの露出も増えてきたんですが、「もうちょっと勉強したいな」という時期でもあって。その頃は、音楽家として育てようとして下さる方々の期待に応えられていないな、と感じていたんです。
原 クラシックって、そこが難しい。メディアに出ている人が業界内でトップスターかというと、そうでもなくて。ヨーロッパに行ってコンクールで上位入賞して、凱旋帰国したら、東京のオーケストラに呼ばれたり、ソリストとして成功していくというのが王道のプロセスですよね。その前にメジャーになったことで、ご自身の中にミスマッチがあったんですね。
新倉 窮屈になっちゃったし、音楽って楽しいはずなのに。
原 音が苦しいと書いて、「音が苦(おんがく)」という(笑)。
新倉 気持ち的にすごく病んだような状態だったかなと思います。
原 割り切って「アイドルチェリスト」みたいな方向を目指せたらね(笑)。
新倉 喜んでチャンスを自分のものにすればよかったんですけど、性分に合ってなかったみたいで。
原 嫉妬もあるでしょうし、自分のコントロールできないところで評価されるというのは、不安もあったんでしょうね。だから「スイスに逃げました」ともおっしゃっていた。
新倉 逃亡ですよ(笑)。そういうつもりで向こうに行って「コンクールに勝って凱旋帰国するんだ」と意気込んで行ったんですが、レベルが高いので、みじめな気分にもなったし。ひとり、トイレに隠れて泣いたような時もありました。でも、気持ちのいい苦労でした。
「音楽のことだけで、髪の毛を振り乱すぐらいの苦労ができている」という。
いい時間を過ごせて、帰国して演奏した時、確実にステップアップを感じると同時に、心はどんどん素に戻っていくというか。
原 日本に再上陸ーってゴジラじゃないけど(笑)、もう一度来ようと思ったのは、音楽家として自信を持てたのがきっかけですか。
新倉 若い世代に奥深い部分を伝えていける存在になれたら…と思えるようになりました。デビュー当時には「みんなのチェリスト」というキャッチフレーズがついていたんですけども、ようやく(笑)。深いちゃんとしたものを楽しいと思ってもらえるような演奏ができないと、ダメだなと思って。説得力あるものを分かりやすく弾きたい、という。
プロデューサー的才覚の時代の息吹
原 ナポレオン=ヒルとか、成功した人は「思考は具現化する」と言うんだけど、新倉さんも具現化していくんだよね。
新倉 「思い描く」というのはすごく大事だなと思います。
原 伊勢丹さんとはドレスのコラボレーションもしているんですね。
新倉 音楽家は耳で感じる、心で感じるのはもちろんなんですけど、視覚的に入ってきた瞬間に「うわー」ってなりたいじゃないですか。ヨーロッパに長くいると、黒い衣装で演奏することが多いんですよ。それって、音楽に集中できることでもあるし、音楽に対するリスペクトも感じる。例えばドビュッシーとか、モネの絵画のような演奏をする時には、淡い薄紫だとか、ピンクもいいかもしれない。そういう色彩感覚が絵みたいになって欲しいなと思って。何かできることはないかなと思った時、企画書を書いて、持って行ったんです。
原 企画書を持って行ったんだ!
新倉 はい。伊勢丹の社長さんに。そこにつながるルートをたどって、たどって。「これ、やりたいんですけど、どうですかね」と言ったら「ちょうど音楽と何かやりたかったんです。やりましょう」と言っていただいて。
(※Youtubeでこちらの企画をご覧いただけます→https://youtu.be/0VTCmfL0soQ)
自分の中には「新倉P」と「新倉A」がいるんです。
原 プロデューサーとアーティスト、両面のご自身ということですね。
新倉 どちらかというと「新倉A」の方が強くて、やりたいことがあると予算オーバーになってしまうことが多いんです(笑)。自分の音楽をどうプロデュースしていくかは、大事にしています。
原 今のクラシックの中で、違う息吹が出つつあると感じます。特に30代前半からの、留学でヨーロッパに行くのが当たり前の方々。日本で「クラシックはこうあるのが当たり前」と教わってきた「クラシック道」ー剣道、柔道みたいじゃない形の、自由なプロデューサー的才覚のある人。さらには他ジャンルとのコラボを、身構えることなくできる人たちが増えてくるような気がする。新倉さんはそのさきがけかもしれません。結果的にはスイスへ行くことで、躊躇がなくなったんでしょうね。
新倉 マイナスのタイミングって、プラスに変えるチャンスだと思います。いろんな経験があったから今、良くなってきているのかな。
■ 編集部からのお知らせ
12月7日に販売の雑誌「CoCoKARAnext」でも掲載中。収まり切れなかったりもっと詳しいお話を後日公開いたします。
健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
〔文/構成:ココカラネクスト編集部 〕
新倉 瞳(にいくら・ひとみ)さん
1985年、東京都生まれ。幼少期を米国とドイツで過ごす。8歳よりチェロを始め、桐朋学園大音楽学部を首席で卒業。スイス留学後はバーゼル音楽院修士課程を最高点で修了。06年には「鳥の歌」をリリースし、CDデビュー。14年からはスイスでクレズマーバンドのメンバーとしても活躍中。17年2月には第18回ホテルオークラ音楽賞を受賞。