【第3回】武田翔太がソフトバンク14年で得たもの――「当たり前を当たり前に」と、マッチの“笑え”サイン
武田が14年間を過ごしたホークスでの思い出を語った(C)産経新聞社
プロ入りから14年間を過ごしたソフトバンクホークス時代について問うと、武田翔太は「毎年が学びだった」と振り返る。
「解剖学とかメカニクスとか、身体の使い方に関する勉強はずっと続けてきました。年々、自分の中でアップデートされていく感覚があって、それが一番大きな学びでしたね」
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思い出を聞かれると、少し考えたあとで、こんなエピソードを明かしてくれた。
「一番印象に残っているのは、松田宣浩さん(マッチ)とのやり取りですね。試合中に一塁走者を見たあと、僕は必ず一度三塁方向を見るんです。その瞬間、マッチさんと目が合って、毎回のようにグローブで『ニッ』て笑えってジェスチャーしてくるんですよ」
肩の力が抜けるような、あの仕草。マウンド上の張り詰めた空気の中で、武田は何度となく気持ちが和らいだという。
「ふざけてるなと思いながらも(笑)、松田さんなりに力を抜かせようとしてくれていたんだろうなと思います。若いころは年上の選手が多くて、小久保さんが一塁を守っていた時期もありましたし、本当に勉強させてもらいました」
常勝軍団の一員として過ごした日々から得た“勝てる集団”の条件は何か。
「野球に関しては、『当たり前のことを当たり前にやる』ということに尽きると思います。自分にとって必要なことを、必要な量だけしっかりやる。それをチーム全体が徹底できていたのがホークスだったのかなと」
ソフトバンクは育成選手を多く抱え、4軍制を敷くことでも知られる。外からは「育成のシステム」の凄みが注目されるが、武田の見方は少し違う。
「正直、いちばん大きいのは『選手の数』だと思います。母体数が多ければ、その分だけチャンスが増える。もちろん育成からいい選手もどんどん出てきていますけど、個々の意識が一番大きいと感じました」





