元PL学園4番が語る恐怖の野球部ルール 98年横浜 vs PL学園から20年の裏話6
甲子園常連校の中でも特に練習漬けの日々を送っていたPL学園。部員達には授業終了後、極力早く練習場へ向かわなければいけないというルールがあったという。
7月16日(祝・月)に都内で行われたイベント「田中大貴と松坂世代たちが今、全てを語る!THE高校野球」で、あの98年「横浜高校 vs PL学園」のメンバーで、4番打者として松坂大輔選手とも対戦した古畑和彦さんが当時の厳しい野球部生活を振り返った。
「学校から寮までなかなかの距離があるんですけど、そこを全力疾走で帰ります。そこでベベ3(下位3人)になると、寮内で先輩のお世話をしなければならないんです。いわゆるパシリですね(笑)。なので、みんなべべ3にならないように走って帰るんです。」
司会の田中大貴さんが、「学校と野球部寮はどれくらいの距離があったんですか?」と聞くと、驚愕の答えだった。
「距離ですか?大体5kmくらいありました。全力です、はい(笑)。毎日リセットされるんですが、大体遅い人は決まっていましたね。諦めているヤツとかも出てきていました(笑)」
古畑によると、絶対に負けたくないがために、ある秘策を打ち出していた部員もいたという。
「絶対にべべ3になりたくない奴は、最後の授業中にユニホームに着替えだしていました(笑)。ベルトしたりストッキングを履き始めたり…(苦笑)。もっと面白いヤツだと、ユニホームが乾いていなかったら、授業中にドライヤーで乾かしてる人もいましたね(笑)。音がうるさいんですよ。何しとんねん、って(笑)。まあ、ほとんどみんな寝ていたので影響はなかったですけどね…(苦笑)」
次回の同イベントは、8月11日(土)に、同じく98年の決勝戦「横浜高校vs京都成章高校」のメンバーに加え、準決勝で敗退した豊田大谷高校の主軸で、プロ野球でも活躍した古木克明氏が参加予定。
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[文/構成:ココカラネクスト編集部]