阪神・ソラーテも続け!過去に途中入団で活躍した助っ人とは?
過去にシーズン途中加入で活躍した主な外国人選手
■ボブ・ホーナー(ヤクルト・1987年来日)
アトランタ・ブレーブスの大砲は当時29歳。オフにFA権を獲得しましたが、当時の大リーグでは赤字球団が少なくなく、年俸の高騰を嫌って各球団のオーナーが協定を締結します。FA選手には低年俸しか提示しなかったため、ホーナーはたまたま売れ残っていたのです。
デビュー戦は5月5日、神宮での阪神戦。現役バリバリの大リーガー見たさに詰めかけた観衆は5万2000人にも膨れ上がりました。第3打席に来日第1号の2ランを放つと、翌日のデビュー第2戦目では阪神のエース・池田親興から3本塁打。「ホーナー旋風」が全国を席巻します。
サントリービールのCMでは薬師丸ひろ子と共演。93試合に出場して打率3割2分7厘、31本塁打、73打点の成績を残しますが、日本滞在179日間で帰国すると、「99・9%、日本に戻らない。野球ではない何かをプレーするために、地球を半周するのは考えものだ」と発言し、日本球界との決別を宣言しました。あれから32年が経った今でも、その打棒は語りぐさになっています。
■ラルフ・ブライアント(中日・1988年)
え!?
ブライアントって近鉄じゃないの?と思う野球ファンも多いかもしれません。しかし、ブライアント伝説の始まりは中日でした。
5月に来日しますが、当時の日本球界に存在した「外国人枠」の壁に阻まれ、2軍暮らしを送っていました。すると6月、その打棒に目をつけた近鉄が金銭トレードで獲得します。
仰木彬監督のもと、才能は開花します。6月29日からの74試合で何と34本塁打をマーク。これは当時のシーズン130試合に換算すると、60発となるハイペースでした。
本塁打王に3度輝く一方、シーズン最多三振を5度記録するなど、豪快なフルスイングでファンを沸かせました。89年10月12日、西武とのダブルヘッダーでは奇跡の4打数連続アーチでリーグ優勝をたぐり寄せます。この年は49発で本塁打王、MVPにも輝きました。記録にも記憶にも鮮やかに残る助っ人です。
■オレステス・デストラーデ(西武・1989年)
出身はキューバ。メジャーではヤンキースとパイレーツでプレー経験があります。「球界の寝業師」こと西武の根本陸夫氏がオファーを出し、89年6月7日に来日しました。
当初は2軍スタートでしたが、6月20日のオリックス戦で1軍デビューすると、いきなり来日第1号。83試合で32本という驚異的なペースで本塁打を量産します。打率は2割5分7厘ながら、チャンスにも強く打点も81をマーク。秋山幸二、清原和博とは「AKD砲」を形成し、西武の黄金期を築きました。弓をひくようなガッツポーズは当時の小学生もよく真似したものです。
■エルネスト・メヒア(西武・2014年)
出身はベネズエラ。ブレーブスに在籍していた2014年の4月、西武への移籍が両球団の間で合意に達し、シーズン途中で来日します。5月5日に入団会見を行うと、同14日に1軍に合流。翌15日の日本ハム戦で第1打席、いきなり左越えに来日第1号のソロアーチを放ち、初打席本塁打を記録します。
勢いのままにこの年、34本塁打を記録し、チームメートの中村剛也内野手とともに本塁打王に輝きます。シーズン途中入団でのホームランキング獲得は史上初の快挙でした。
そんな「救世主メヒア」も来日6年目の今季、不振に陥り、当時の豪快な打棒が鳴りを潜めているのは寂しいところ。もう一花、咲かせて欲しいというのはライオンズファン全員の願いでしょう。
以上、彼らに共通するのは1軍で早い時期によきパフォーマンスを見せつけ、首脳陣の信頼を勝ち取っているところです。
ソラーテが今後、どのような活躍を見せるのか、大いに期待したいと思います。
※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]