元DeNAソーサが語るNPBの思い出。驚愕した日本の捕手力「谷繁さん、阿部さんから多くを学んだ」
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2012年から中日ドラゴンズ、横浜DeNAベイスターズでセットアッパーとして活躍したホルヘ・ソーサ元投手。現在は母国のドミニカ共和国で若い世代に野球の楽しさを伝えているソーサに、NPBで印象に残っている選手や日本野球のストロングポイントを聞いた。
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ソーサはメジャーリーグの球団やメキシカンリーグを渡り歩き、メジャー通算44勝。35歳の年に入団テストを受けて中日に加入した。
「アメリカでやっていた時に日本で試合をすることがあって、日本の球場とか雰囲気が好きになりました。いつかここでやりたいと思っていたので、NPBでプレーできたことは嬉しかったですね」
2012年に中継ぎとして53試合に登板し、5勝1敗、4セーブ21ホールドで防御率1・85の成績を残すと、NPB2年目はDeNAに移籍。守護神として3勝4敗19セーブ11ホールド、防御率1・79の成績を挙げた。その活躍の裏には通訳の存在がある。
「初めてのシーズンは戸惑うこともあったけど、中日でもDeNAでも、通訳さんとコミュニケーションをうまく取れてサポートしてくれたので、いい環境でやることができました。いい通訳さんに出会えたことは幸せなことだし、恵まれていたと思います」
2013年からDeNAでスペイン語通訳を務めた青木レオナルドさんはこう話す。
「彼が日本で活躍できたのは、本人の努力のおかげ。通訳から見て、アメリカとかラテンの野球とは違うけど、日本のやり方はこうだからと合わせられるように研究したり、努力する選手が活躍できると感じています。彼も映像を見たり、人に話を聞いたり、本当によく日本の野球を研究していました。ラミレスさんに相手チームのバッターはどういうスイングをするのか、どういうところが強みなのかとかをよく聞いていましたね」
そう証言するように、アレックス・ラミレス氏とDeNAでチームメイトになったこともNPBにアジャストできた要因となった。
「ラミレスさんの存在は本当に大きかったですし、感謝しています。長くNPBでやっているので、日本の野球について、打者の攻め方とか、コーチや監督の考え方など、ラミレスさんの経験からいろいろと教えてもらいました」