日本の元祖二刀流として活躍された関根潤三さん その驚くべき記録とは
投打二刀流のどちらも一流として活躍したことで知られた関根潤三さんが9日、亡くなった。老衰死で93歳だった。
主に近鉄で投手、野手の両面で活躍した。投手としては244試合に投げ、65勝94敗、防御率3・42。野手としては通算1417試合に出場し、1137安打、59本塁打、424打点、30盗塁をマークした。
日本の元祖二刀流
近年でこそエンゼルス・大谷翔平の活躍で、投打二刀流という言葉が広く認知された。大谷の登場で、メジャーリーグでも投打二刀流を目指す若手選手が多く登場するほどだった。大谷はそのメジャーでは「ベーブ・ルース2世」とも呼ばれる。本場では投打二刀流の元祖は、1920年前後に活躍したベーブ・ルースであり、ルース以来の二刀流選手として大谷が出現したと捉えられているからだ。ただ日本では、大谷以前に投打の両面で活躍した選手といえば、関根さんをおいて他にはあるまい。
関根さんは日大三中(現日大三高)から法大を経て、1950年に近鉄入団。1953年から3年連続2桁勝利を挙げ、その間は毎シーズン200イニング以上を投げた。その後、1957年に外野手へ転向。故障した1958年を除けば、1963年までレギュラーとして活躍し、どのシーズンも100安打以上を放った。オールスターには投手と野手の両方で、計5度選出されている。両ポジションで選出された選手は、他には大谷しかいない。
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