日本の元祖二刀流として活躍された関根潤三さん その驚くべき記録とは

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積み上げた投打両面の金字塔

 関根さんは1957年にきっぱりと転向後、野手として一本立ちした。厳密に見れば「投打二刀流」というカテゴリーには入らないのかもしれない。ただ通算50勝と通算1000安打の両方を達成したのは、他には西沢道夫(60勝、1717安打)と2人だけしかいない。金田正一、堀内恒夫ら打撃に優れた投手はかつては多かった。しかし、れっきとして投打両面で活躍した選手は数少ない。

 同一シーズンで二刀流に挑戦した選手として知られるのが、オリックスの嘉勢敏弘だった。入団3年目の1997年、アイデアマンで知られる仰木彬監督の鶴の一言で、投手兼野手として起用されることが決まった。このシーズン、投手としてはわずか2試合の登板。野手では14試合で1安打にとどまった。その後も投手兼野手のシーズンは続いたが、満足のいく成績を残すことはできなかった。

 同じ時代に投打二刀流に挑戦したのが、後にメジャーでも活躍する阪神・新庄剛志だった。1998年の秋季キャンプで野村克也監督の発案により、投手練習を開始。ただ、翌1999年のオープン戦で2試合に登板しただけで左膝を痛め、投打二刀流を断念した。

 1999年に二刀流でも珍しい投手兼内野手としてプレーしたのが広島のフェリックス・ペルドモ。内野手では35試合に出場し9安打、1本塁打、4打点で打率・200。投手は17試合に投げ1勝2敗、防御率4・56だった。カープアカデミーから1992年に入団。台湾球界を経て1995年に復帰し、当初は内野手だったが、後に投手へ転向していた。ただ助っ人外国人としてパンチ不足は否めず、1999年オフに自由契約となった。

 投打両面で活躍するには、類い希なる才能に加え、花開かせるための努力が必要とされる。引退後は監督を務め、その後は解説者として独特の語り口でお茶の間でも愛された関根さん。積み上げた投打両面の金字塔は、大谷の出現で改めて注目を集めるものとなった。まだまだ大谷の活躍に、そして日本球界への厳しくも温かな言葉がほしかった。謹んでご冥福をお祈りしたい。





※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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