“エリート”ではなかった三笘薫 「ドリブルは上手かった男」はいかに世界屈指のタレントへ変化を遂げたのか
「僕はこう見えて繊細なので(笑)。色々とけっこうこだわります」
筑波大学時代の三笘は、心身ともに大きく伸びた。その要因は本人のメンタリティーにもあった。(C)Getty Images
「薫の凄いところはスキル、ボールを扱うところもそうだけど、相手が“分かってても抜かれる”ドリブル。DFからすると止まっていたら仕掛けられるし、突っ込んだらかわされる。相手を見て自分の身体を変えられるところですよね。一言でどんな能力かと言われると、『相手と逆を取り続けられること』になると思うんですよね」
筑波大学で三笘を4年も指導した小井土正亮監督は、こう評す。
さらに水戸ホーリーホックで現役時代を過ごした指揮官は、「ドリブルはJ1でも通用する」とも語っていた。ただ、当時に課題となっていたのは、「守備」と「耐久性」だった。
好きな攻撃は積極果敢にするが、それも90分は持たない。さらに三笘は組織として求められる守備でハードワークができなかった。そこは小井土監督も口を酸っぱく本人に伝えた。その結果、徐々に課題は改善されていった。
「守備はできなかったのができるようになったっていうレベルですけど(笑)、伸びたところで言うとやっぱり、身体のところですね。上手いけど90分持たなかったり、ちょっと当たられてしまったらへなって転んでしまったり。それが改善されたかなと思います」
そう振り返る三笘は1年時からトップチームに名を連ねていたが、当時はジョーカー的な起用が多かった。しかし、徐々にタフさとプレー強度を備え始めると、先発での出場機会が増加。試合終盤でもドリブルで相手を揺さぶる場面も増えていった。
彼が2年となった2017年の天皇杯2回戦のベガルタ仙台戦では2ゴールをマーク。その名を一気に轟かせたのは語り草である。
関東大学サッカー1部はアマチュアレベルでは最高峰であり、一発勝負ならJ2、J1のチームに対してアップセットを起こすこともしばしばだ。プロ予備軍も多い。そのなかで揉まれ、かつ件の天皇杯の舞台でプロ相手でも通用するという成功体験が、三笘を大きく成長させたのは間違いない。
また、大学時代には自ら栄養面や休養面について学び、実践する日々を送っていたのも大きいと言える。親元を離れ一人暮らしとなり、コンディションは自らの意識で整えなければいけなくなった。しかし、彼はプロ入りという目標のために自らを律していた。
「僕はこう見えて繊細なので(笑)。色々とけっこうこだわりますね。試合前日はあんまり動かないようにするというか、身体を休めることに集中する感じで、いつもの場所で晩御飯を食べたりとか、ルーティンを守るようにしています」
チームメイトをはじめ、三笘の周辺人物は彼の真面目さ、ストイックさについてしばしば言及する。プロ入り前では最後の準備期間である大学サッカーの舞台で、心身ともに鍛え上げた結果として、今の活躍があるのだ。
[取材・文/竹中玲央奈]
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