今シーズンのプロ野球12球団中6球団の監督がノムさんの教え子!「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」の金言どおりに

タグ: , 2020/2/21

 大往生というには若すぎる。84歳。野村克也さんがこの世を去った。突然の訃報に、春季キャンプ真っ盛りだった日本球界は、お通夜のように湿ってしまった。

 無理もない。選手兼任監督だった南海時代に始まり、ヤクルト、阪神、社会人のシダックス、そして楽天とさまざまなチームで監督を歴任した。教え子たちは各チームに散らばっているのだ。





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「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」


 「金を残すは三流、名を残すは二流、人を残すは一流」

 野村さんが残した有名な明言の一つである。まさにこの言葉を地でいった野球人生だった。

 現在のプロ12球団中、実に半数の6球団の監督が野村さんの教え子にあたる。

 最も薫陶を受けたのはヤクルトを今年から率いる高津臣吾監督だろうか。新人だったヤクルト時代に鍛え上げられ、球界を代表するクローザーへと成長した。野村さんが亡くなると、すぐさまキャンプ地の沖縄県から、都内の自宅へと弔問に飛んだ。

 阪神・矢野燿大監督も野村さんに見いだされた一人だ。中日から98年に阪神へ移籍。翌99年に就任した野村監督に正捕手として重用され、捕手のイロハを叩き込まれた。

 西武・辻発彦監督は、敵として、そして愛弟子としてプレーした。西武時代は野村ヤクルトと日本シリーズで名勝負を演じた。1995年に戦力外通告を受けると、獲得を熱望したのが野村さんだった。好敵手だったヤクルトへ移籍。1年目からオールスターに出場を果たすなど、133安打、打率・333の好成績を残した。野村再生工場の象徴的存在となり、宮本慎也ら後進の育成にも貢献した。

 日本ハム・栗山英樹監督は現役最後のシーズンとなった1990年、ヤクルトで野村監督の元でプレーした。現役晩年はメニエール病や右肘痛に悩まされたが、主に控えの外野手として69試合に出場した。

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