ミスターパリダカ・篠塚建次郎さんが75歳で死去 現役時代はサラリーマン選手だった
ところがオイルショック後の排ガス規制強化で三菱がモータースポーツのワークス活動を中止。篠塚さんはサラリーマン生活に専念することになる。篠塚さんも販売促進部に籍を置いてイベント企画などを行い、三菱のモータースポーツ復活の機会を待った。
その足掛かりがパリダカだった。86年に俳優の夏木陽介とともに三菱パジェロで初出場し、8年ぶりに選手活動を再開。総合46位で見事に完走を果たした。当時は37歳でプライベートチームからの参戦だったが、翌87年に総合3位を獲得し、88年に晴れて三菱のワークスドライバーの一員に加わった。脂が乗るはずの30代前半を棒に振ったものの、6位に入った76年のサファリで「ライトニング(稲妻)ケンジロウ」と呼ばれた切れ味抜群のドライビングは健在だった。
プロ野球、柔道、大相撲、マラソン、サッカー、レスリング、車いすテニスと国民栄誉賞を受けたスポーツ選手は多いが、モータースポーツ選手はなぜか世界一になっても俎上に載らない。米インディ500を2度制した佐藤琢磨も内閣総理大臣顕彰を受けただけ。95年に関谷正徳が日本人で初めてルマン24時間優勝を果たした際も永田町が大きな関心を示すことはなかった。篠塚さんもそうだった。
篠塚さんは生前に「僕が三菱に入ったころは『ラリーをやっている』と言ってもラリー自体を誰も知らなくてね」と語っていた。それでも1980年代~90年代のパリダカは篠塚さんの活躍もあいまってテレビの朝の情報番組でも取り上げられるようになり、シンガーソングライターの松任谷由実を魅了させたほど。篠塚さんはラリーの知名度を上げた功労者の1人。もっと称賛されてしかるべきである。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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