松島幸太朗が五郎丸に代わり「日本代表の顔」になったルーツとは?桐蔭学園での「伝説の独走トライ」の後は自ら厳しい環境に…
「日本のフェラーリ」が世界を駆け抜けている。
日本代表の快進撃に沸くラグビーW杯で、主役候補に名乗りを上げたのが松島幸太朗(26)だ。開幕ロシア戦では3トライを挙げて勝利に貢献し、文句なしのMVP。「松島や、あぁ松島や、松島や」と名句にかけ、活躍をたたえるスポーツ紙もあった。
独特の鋭いステップ、一瞬の爆発的なスピード、相手につかまっても簡単に倒れない強さ。ジェイミージョセフ・ヘッドコーチは「相手にとってはフェラーリが突進してくるようなもの」と高級スポーツカーに例えて称賛した。
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桐蔭学園卒業後はあえて厳しい環境に身を置いた
日本人離れした風貌は、ジンバブエ人の父の影響。母が日本人の1人息子として、南アフリカの首都プレトリアで生まれた。6歳まで南アフリカで暮らし、小学生時代は東京で過ごした。ラグビーと出会ったのは中学1年時、南アフリカへの留学がきっかけ。帰国後、本格的にラグビーを開始した。
桐蔭学園高では1年からレギュラーで、3年時に冬の全国大会(花園)優勝へと導いた。異次元の走りでトライを量産したが、松島を有名にしたのは、準決勝の大阪朝鮮高戦。自陣ゴール前から約100mを一人で走りきって挙げたトライは、高校ラグビー界の語り草となっている。
高校卒業後、転機が訪れる。有力選手は強豪大学進学が定番だが、南アフリカで強豪クラブ「シャークス」のアカデミー(若手育成機関)に挑戦することを決断。あえて厳しい環境に身を置き、2年間在籍して南アフリカU-20代表候補に選ばれた。だが松島は辞退し「日本代表で強いチームに勝ちたい」と、日本への愛着は人一倍強かった。
14年にサントリー入りし、日本代表に選出。15年W杯イングランド大会には、22歳の若さで全4試合に出場した。「史上最大の番狂わせ」といわれた南アフリカ戦では、サインプレーから抜け出してFB五郎丸歩の同点トライをアシストするなど、「陰のMVP」といわれた。