「ノムさんの右腕」が語る「野村ノート」、「ID野球」誕生秘話

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 プロ野球界で「ノムさんの懐刀」、「野村監督の右腕」、「名参謀」と呼ばれ、ヤクルト、阪神、楽天で野村監督の下でヘッドコーチや二軍監督を務めて来た松井優典さん。一昨年までは、ヤクルトでファームディレクター、編成部長などを務めて来て、山田哲人等を始めとして数多くの選手を発掘、育成、輩出して来た。

 7月下旬に神奈川県内にて行われた講演にて、改めてその野球人生や野村克也とのエピソードを聞かせてもらった。前回はプロ野球界で50年働いた経験から、若い選手に贈るアドバイスについて語ってもらったが、今回は野村克也さんの監督人生を象徴する「野村ノート」、「ID野球」等について。

野村流「研修会」


 私は現役引退後、指導者として再び野村監督と野球人生を歩んできました。野村監督は、日々行われるミーティングを、「ミーティング」と呼ばずに「研修会」と呼んでいました。

 と言うのも、その研修会では最初に野球のことではなく、人生について話されていたんです。監督就任後、最初の10日くらいは毎日その野球以外の話題でした。その後初めて野球について話されましたね。チームとは何か。作戦とは何かなど。

 その時のヤクルトの選手は、まあ一生懸命でしたね。全員が無遅刻無欠席。目からうろこでした。みんな日々書き込んだノートを「野村ノート」と呼んでいましたね。

日々圧倒される野村采配

 野村監督に最初に圧倒されたのは、ヤクルト監督就任後初めて指揮をとったオープン戦でのことでした。

 当時、まだ古田(敦也)がレギュラーではなかったので、秦(真司)という選手がキャッチャーをやっていました。ただ秦は肩があまり良くなかったんですね。そこで、野村監督は一球外せと言って指示を出しました。外すとキャッチャーは二塁に送球しやすくなりますからね。すると見事に采配が当たって秦の強くない肩でも刺せたんです。

 そういう采配が一試合に3回くらいありました。これはチーム全体の度肝を抜きましたね。これは、キャンプの段階ではまだ選手が野村監督に半信半疑の目で見ていたところがあったのですが、野村監督を信頼するようになった大きな出来事でした。

 通常試合の中で、例えばランナー1塁で、ボールカウント1-2,1-3とかいう場合。

 その中で、相手監督やコーチの采配を見破る準備をしていました。私はそこで何故野村監督があそこで一球外せという指示を出したのかを聞きました。すると監督はこう言ったんです。

 「そんなのランナーの動きを見ればわかるよ。ランナーが走りたい時はこうなる、走らない時はこうだ。」

 もう、またまた目からうろこでしたね。

 今でこそ、そういった指導者はいるかもしれませんが、当時ランナーの動きを見ている人というのはいませんでしたから。私達コーチとの着眼点が全く違いました。

・合わせて読みたい→
「ノムさんの懐刀」が語る野村克也さんとの出会い(https://cocokara-next.com/athlete_celeb/masanorimatsui-chronicle-01/)

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