4万人が酔いしれたドラマ 無敵の井上尚弥がネリに“倒された”舞台裏 不世出の怪物を飲み込みかけた重圧「ダウンがあったからこそ」
ネリとの壮絶な打ち合いを見せた井上。初回には「らしくない」場面も見られた。(C)Takamoto TOKUHARA/CoCoKARAnext
二の矢、三の矢は打たせなかった完璧な危機管理
34年前、無敵のヘビー級王者に君臨していたマイク・タイソンも、ノーマークだったジェームズ・ダグラスの猛攻に東京ドームで沈んだ。そんな“世紀の番狂わせ”が脳裏をよぎったファンからは悲鳴にも似た声が上がった。それは共鳴し、ドームを異様な雰囲気にさせた。
この時、「寿命が縮まった」という大橋秀行会長はこう語る。
「初回は力んでいた。冷静に、冷静にと思っていたけど、あの時間に倒されたら普通は無理ですよ。初回のパンチって効くから」
ただ、「ダメージはさほどなかった」という井上はスッと上体を起こすと、リング上に膝をついた姿勢を維持。カウントのギリギリまで立たず、約8秒後にファイティングポーズを取った。そして「OK」と口にした。ここで完全に頭は切り替わったのだろう。
当然、一気呵成に畳みかけるネリは猛ラッシュを展開。だが、井上はしっかりとガードを固め、要所ではクリンチ。さらにボディへのジャブとアッパーも放ち、カウンターへの警戒を強めさせ、追撃を許さず。次第に勢いを失った相手を前にし、モンスターは笑みを浮かべていた。
完璧な危機管理で二の矢、三の矢は打たせなかった。そして初回を“逃げ切った”井上は「ポイントを計算していこうかなと。2ポイントリードされているので」と冷静に2ラウンド目に向かった。
そこからは、まさに「井上劇場」だった。
ポイントでも優勢に立ったネリが繰り出す必殺の左を軸にした攻撃も、得意のバックステップで軽くいなす。モンスターに同じ技は二度も効かない。それを体現するかのようにチャンプは軽快にリング上を駆けた。そして何度か左フックをかわしたタイミングだった。お返しとばかりに左フックを炸裂。ダウンをもぎ取るのだ。
「ダウンでひとつチャラにできた。同等にまず立てる。気持ち的にもリセットできた」
形勢が逆転したのは、数字も如実に物語る。井上のパンチ率は1ラウンド目こそ33.3%だったのが、2ラウンド目は56.8%、3ラウンド目は51.4%と劇的に向上。さらに強打率も1ラウンド目の46.2%から、2ラウンド目に60%にまで上がった。
次第に心身を擦り減らしていったネリに対し、完全に主導権を握った井上。4ラウンド目の途中には右手で自身の頬を叩き、「ここに打ってこい」と挑発したかと思えば、その直後に右ストレートと左ボディをかますパフォーマンスを披露。さらに瞬間的にノーガードモーションも見せ、ふたたびニヤッと笑った。もういつものモンスターだった。