「皇帝ヒョードル」日本ラストファイトをRIZIN CEO榊原氏が語る、PRIDE時代の思い出
年末の風物詩、格闘技イベントが今年も繰り広げられる。令和元年の締めくくりに用意されたマッチアップは、往年の格闘技ファン感嘆のカード。「人類最強の男」とも呼ばれた、あの皇帝・ヒョードルが帰ってくるのだ。
大晦日は5年連続となる「RIZIN」が開催され、神童・那須川天心などが年末を彩る。そのRIZINとアメリカのMMA(総合格闘技)団体Bellator(ベラトール)の合同興行となる「BELLATOR JAPAN(ベラトール ジャパン)」が12月29日に行われ、2000年代の格闘技ブームを牽引した皇帝ヒョードルが参戦する。
平成と令和、世紀を超えたマッチアップについて、RIZIN CEO榊原氏に話を聞いた。
日本の格闘技の変遷を振り返る世紀のビッグマッチ
—日本初上陸となるBELLATOR JAPANの見どころを教えてください
「今のRIZINが2015年の年末から始まって丸4年。最近では堀口恭司や那須川天心、朝倉兄弟(朝倉未来・海)が活躍する姿をテレビ放送で見てファンになってくれた若い世代が増えましたね。とても嬉しいことです。だけどそういう若い人たちは、今から15年くらい前の日本にとてつもない格闘技ブームがあったということを実体験として知らないんです。なので、今回12月29日のBellator初の日本大会、(エメリヤーエンコ・)ヒョードルのラストマッチをきっかけに、日本の格闘技の歴史・変遷を振り返ってもらう機会になったらいいなと思っています。10代20代の若い格闘技ファンにも、自分が愛してやまない堀口恭司や那須川天心とは異なる魅力、サイズも色気も違う格闘技の世界を体感してもらいたいですね」。
—2000年代の格闘技ブームを象徴する選手であるヒョードルが出場します
「今でもはっきり覚えていますが、ヒョードルが初めてRIZINの前身となるPRIDEに出てきたのが2003年。セーム・シュルトと対戦して判定勝ちをしたのですが、最初はそこまで活躍する選手とは思わなかったです。日本語が話せるわけでもないし、キャラクター的にはどちらかといえば地味な選手でしたからね。ヒョードルはもともとサンボのロシアチャンピオンで、それでいて圧倒的な打撃力もあり、試合をする度にヒョードルのすごさに魅せられていったんですよ。見たことのないようなパンチだったり、全力で飛んできて殴るとか。彼の一つ一つのパフォーマンスがあまりにも卓越していて、ファンの心をガッシリと掴んでいきましたね。ヒョードルは対戦相手を選ばなかったですけれど、全盛期は誰がこいつに勝てるんだと、相手が戦うことを怖がっていました」。
—印象的なエピソードはありますか?
「2004年にケビン・ランデルマンと対戦した試合ですね。開始早々にヒョードルがスープレックスを食らうんですよ。頭から垂直にマットに叩きつけられて、僕はリングサイドで見ていたので、『終わった…』と青ざめました。それくらいすごい衝撃でした。なのに、何事もなかったかのように受け身をとって、逆にケビンを一蹴してしまうんです。バケモノですよ(苦笑)。ヒョードルは攻撃力もそうですけど、ディフェンス面でもフィジカル全体が強いです。トレーニングは、トラックの大きなタイヤを回したり、ハンマーを振り下ろしたり、すごく原始的ですけどね。アントニオ猪木さんの闘魂棒に通じるものがあります(笑)。そういったトレーニング方法含め、彼の雰囲気やファイトスタイルなど、知れば知るほどヒョードルという選手のミステリアスな部分にみんなが魅せられていきましたよね。そういう選手が日本のPRIDEに出てきて一気に覚醒して、そこからPRIDEの全盛期を作る立役者の一人になりました」。